賀露(読み)かろ

改訂新版 世界大百科事典 「賀露」の意味・わかりやすい解説

賀露 (かろ)

因幡国(鳥取県)高草郡に属し,千代川河口の港。《三代実録》に861年(貞観3)賀露神に従五位下を授くとあり,《因幡堂縁起》によれば997年(長徳3)賀留の沖で薬師如来像が漁網にかかり,海中から引き揚げられ,因幡守橘行平によってまつられたという。中世には因幡守護山名氏の守護所天神山城,その出城鳥取久松山城の城下町の外港であった。1600年(慶長5)ころ,鹿野城主亀井氏の所領であったが,鳥取城主池田長吉の要請でその所領の一部と交換され,鳥取城下町の外港として機能したという。1795年(寛政7)ころの賀露村は戸数423(うち本網師屋11)で,以前の瀬戸(浜方)の戸数190,地方(じかた)(農地部)の戸数144の合計334を超過,浜方には船持,水主(かこ),漁師船大工などが多数住んだ。藩の番所も早くから置かれ,鳥取城下を出入りする物資や人の動きの監視統制を行った。明治末年の山陰線の全通以後,商港よりも漁港として活用され,1937年鳥取市に合併された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「賀露」の意味・わかりやすい解説

賀露
かろ

鳥取市北部千代(せんだい)川河口の鳥取港賀露港)を含む地区。旧賀露村。遣唐使吉備真備(きびのまきび)が帰路賀露の沖合いから漂着したと伝えられ、賀露神社は吉備大臣を祀(まつ)る。戦国時代以来、鳥取城下町の外港であった。山陰本線開通後はズワイガニなどの機船底引網漁業の根拠地。重要港湾鳥取港は流通港湾として1990年(平成2)に1万トン岸壁、5000トン岸壁などの築港が行われた。

[岩永 實]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「賀露」の意味・わかりやすい解説

賀露
かろ

鳥取市北部の地区。旧村名。 1937年鳥取市に編入南部の里賀露 (さとかろ) は農業地域。北部の浜賀露は漁業地域。江戸時代には番所がおかれ廻船の町として繁栄。賀露港は鳥取市の外港であったが,千代川の河口港で浅いため,河口港湾工事が行われ鳥取港として生れ変った。マツバガニが名産でカニの缶詰工場がある。吉備真備 (きびのまきび) を祭神とする賀露明神がある。

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世界大百科事典(旧版)内の賀露の言及

【鳥取藩】より

… 1600年の関ヶ原の戦で西軍に従った宮部氏に代わって,近江国から池田長吉が入部して鳥取城主となり,宮部時代の高草郡を除く3郡と西軍垣屋恒総の跡の巨濃郡を加えて4郡6万石を領し,約17年在城した。その間,天守や城郭の修築・整備を行うとともに,鳥取の外港ともいうべき高草郡賀露の港を八上郡袋河原村と交換に,隣藩の鹿野藩主亀井茲矩(これのり)から譲り受け,鳥取城下の発展をはかったと伝える。また千代川の堤防の増強を亀井氏と競争で行い,境界争いにも勝利するなどの治績が断片的に知られる。…

※「賀露」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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