賀美郷(読み)かみごう

日本歴史地名大系 「賀美郷」の解説

賀美郷
かみごう

和名抄」に訓はないが「かみ」であろう。「和泉志」は大木おおぎ土丸つちまる母山もやま机場つくえばかみなかしも女方めがた(形)花枝はなえ江田えだ(現泉佐野市)のほか日根野ひねの庄の西上にしうえ西出にしで野口のぐち心道出しんどうで地蔵じぞう辻端つじばた中筋なかすじの諸邑(現同上)を郷域とするが、「大日本地名辞書」はこれらに、長滝ながたき庄・中通なかどおり(現同上)の諸邑を加えている。式内社は中世に和泉五社の一つにあげられている日根(大井堰)神社をはじめとし、比売ひめ意賀美おがみ火走ひばしりの四社があり、中通庄を郷内とみれば鶴原つるはらにある加支多かきた(田)神社も含まれることになる。当郷は日根郡内で式内社の集中の目立つ点で、古代では全体として未開地の多かった日根郡内の先進地帯といえよう。

賀美郷
かみごう

「和名抄」にみえるが諸本ともに訓はない。賀美はかみを表す語であろう。近くの安宿あすかべ郡にも賀美郷があるのをはじめ「和名抄」所載郷名に二四例ある。その郷域は鳥取ととり(青谷)から奥へはいった雁多尾畑かりんどうばた(現柏原市)と、大和川を眼下に見下ろすとうげ(現柏原市)の地区を含む地域と考えられる。堅下かたしも郡と合併する以前の堅上かたかみ郡の中心的地域であろう。「日本書紀」天武天皇八年(六七九)一一月条に「是月、初置関於竜田山、大坂山」とみえるが、竜田たつた山の関は平城京から大和平群へぐり郡をへて大県おおがた郡に出る竜田道に設けられたものに相違なく、おそらくはいまの峠の集落付近に置かれたのであろう。

賀美郷
かみごう

「和名抄」高山寺本・刊本ともに訓を欠く。「大和志」は「今曰川上荘」として東川うのがわ村・西河にじつこう村・大滝おおたき村・寺尾てらお村・さこ村・塩谷しおだに村・人知ひとじ村・高原たかはら村・白屋しらや村・井戸いど村・下多古しもたこ村・武木たけぎ村・いかり村・白川渡しらかわど村・中奥なかおく村・和田わだ村・伯母谷おばたに村・上多古こうだこ村・上谷こうだに村・大迫おおさこ村・神野谷こうのたに村・入波しおのは村・柏木かしわぎ村など二四ヵ村をあげ、現吉野郡川上村の吉野川上流の谷沿いの地域に比定。

賀美郷
かみごう

「和名抄」所載の郷。同書高山寺本・東急本とも訓を欠く。訓は武庫むこ郡賀美郷に同じ。郷名郷域について「大日本地名辞書」は、カミを兎原郡葦屋あしや郷の「上」(都からみて)の義と解して現芦屋市の打出うちで浜、純友追討記(「扶桑略記」天慶三年一一月二一日条)にみえる「須岐駅」および現同市域に含まれる精道せいどう(明治二二年成立)かとする。兎原郡の東隅に位置し、武庫郡津門つと郷と葦屋郷の間に比定できよう。同郡との郡界はしゆく川の河道とされるが、同川がかつて西宮神社の東側、すなわち現西宮市千歳ちとせ町・安井やすい町辺りから東へ流れ、常磐ときわ町・平松ひらまつ町・江上えがみ町を経て六湛寺ろくたんじ町・与古道よこみち町辺りでひがし川へ流入していたとする説(西宮市史)を採ると、郷の東限は現西宮市社家しやけ町の西宮神社東側となる。

賀美郷
かみごう

「和名抄」にみえるが、高山寺本・刊本とも訓を欠く。賀美郷は諸国にあるが、同書両本とも伊勢国河曲かかわ郡賀美郷を「加美」と訓ずるところに従う。武蔵国賀美郡は「上」(刊本)と訓じられる。

「大日本史」は「今郡西有上村栗村荘、蓋是」と推定しているが、このかみ村は近世の栗村くりむら郷内の東方をさすもので、賀美郷の遺名とは考えられない。むしろ「日本地理志料」の指摘するごとく「賀美対那賀・資母之称」とすれば、郡東北方の由良川上流域または支谷上林かんばやし川流域(いずれも現綾部市)となろう。

賀美郷
かみごう

「和名抄」にみえるが、諸本ともに訓はない。天平八年(七三六)一二月付優婆塞貢進解(正倉院文書)にみえる「安宿郡上郷」に相当する。郷域は石川の支流飛鳥あすか川に沿う現羽曳野はびきの市のこまたに・飛鳥の地域と考えられる。大和と河内の国境にある竹内たけのうち穴虫あなむしの両峠(現南河内郡太子町)を越えて河内の平野部へ下ってくる道が、この地域の南東端で合して、郷域を北西へ向けて貫き、丹比たじひ(竹内街道)となる。交通上の要地で、「日本書紀」履中天皇前紀に去来穂別皇子が飛鳥山の山口に至ったというのはこの辺りのことであろう。安宿戸造・百済飛鳥戸伎弥などの本貫の地でもあると思われる。桓武天皇の女御の百済永継は飛鳥部奈止麿の女であるらしい(尊卑分脈・公卿補任)が、その飛鳥部はおそらく飛鳥戸の誤りで、この地の氏族であろう。

賀美郷
かみごう

「和名抄」諸本とも訓を欠く。「拾芥抄」では「賀美かみ」とみえる。「日本地理志料」では真野まの沼津ぬまづ(現石巻市)指浦さしがうら御前浜おんまえはま竹浦たけのうらみやさき女川おながわ浦宿うらしゆくいず(現女川町)などにわたる地とする。

賀美郷
かみごう

「和名抄」所載の郷。同書高山寺本・東急本とも訓を欠く。訓は両本とも伊勢国河曲かわわ郡賀美郷を「加美」と訓ずるところに従う。「新撰姓氏録」摂津国諸蕃に上村主がみえる。上の氏名は河内国安宿あすかべ郡賀美郷の地名に基づくとされるが、当郷ともかかわりがあろう。郷域について「日本地理志料」は、鹿塩かしお蔵人くらんど小林おばやし伊孑志いそし(現宝塚市)にわたるとし、現宝塚市の武庫川以西の地域に比定するが、疑わしいとして断定をさけている。

賀美郷
かみごう

「和名抄」高山寺本・刊本に訓を欠く。天元三年(九八〇)とみられる太政官符(彰考館本栄山寺文書)に「(宇智)郡賀美郷下堤村真土条并郡条内 四東限同寺地并内川 西限多癸川并真土条八里廿廿一坪西子午畔 南限吉野川 北限岸并郡条二里廿三坪南卯酉畔公田」とあり、現五條市小島こじま町の栄山えいさん寺寺地・宇智川以西、吉野川以北、現五條市の中心部付近が郷域と考えられる。

賀美郷
かみごう

「和名抄」諸本ともに訓を欠き、高山寺本では「茂賀」とつくる。「日本地理志料」では中津山なかつやま米岡よねおか西野にしの(現登米郡米山町)蕪栗かぶくり大貫おおぬき(現遠田郡田尻町)小里おさと大田おおた(現同郡涌谷町)にわたる地とする。

賀美郷
かみごう

「和名抄」高山寺本・刊本ともに訓を欠く。奈良時代の史料には加美と出る場合が多い。郷名の初見は天平一二年(七四〇)一月一〇日付山背国宇治郡加美郷長解案(東南院文書)で「加美郷」とみえ、擬大領正八位上宇治宿禰水通の名がみえる。このほか奈良時代の東南院文書・正倉院文書の家地売券に加美郷が散見され、宇治姓の居住が知られる。また同一七年九月のものと思われる智識優婆塞等貢進文(正倉院文書)には「賀美郷」の用例がみられる。

郷域は天平一七年一一月三〇日付次田連広足宇治宿禰大国連署状案(東南院文書)に、「加美郷堤田村」がみえ、山城国山科郷古図(彰考館旧蔵)によれば「堤田村」は宇治郡条里の五条六里・七里、六条六里の三ヵ里(現宇治市木幡檜尾・同南山付近)にあたるので、江戸時代の木幡こはた村を中心とした地域と考えられる。

賀美郷
かみごう

「和名抄」東急本に郷名がみえるが、高山寺本には記載がない。名博本は「或本云」として郷名を記す。「甲斐国志」は「今十日市場ヨリ富士ノ麓マデノ間三十村許リヲ惣ベテ上郷ト称ス、是レ賀美ノ郷ノ遺称ナルベシ」として、現在の都留市南部から富士吉田市周辺を郷域とみなす説を通説とし、ほぼ異論はない。郷名は桂川の上流を意味する「上」が二字化したものと考えられ、同郡の征茂せも(下郷)と対をなしている。

賀美郷
かみごう

「和名抄」にみえるが諸本ともに訓はない。原義は上・中・下の上であろう。同名郷は河内の安宿あすかべ大県おおがた郡ほか数多い。天平一八年(七四六)の経師勘籍(正倉院文書)に「渋川郡賀美郷」とみえるのが郷名の初見。天平宝字八年(七六四)一二月一一日付舎人貢進文(正倉院文書)にも

<資料は省略されています>

とみえる。

賀美郷
かみごう

「和名抄」に「賀美」と記され、訓を欠く。「新編常陸国誌」に「按ズルニ、礒原村ノ海磯ヲ神磯ト云フ、又村ノ北ニ神岡村アリ、神ハ即賀美ナリ」とあり、比定地は定かでないが、郷域は現高萩市横川よこかわ上君田かみきみだ・下君田、北茨城市磯原いそはら豊田とよだ木皿きさら大塚おおつか臼場うすば石岡いしおかの一帯とされる。

賀美郷
かみごう

「和名抄」高山寺本・刊本ともに訓を欠く。「大和志」は「方廃上里村存」として現北葛城郡香芝かしば町大字上中かみなかに比定。東に上牧かんまき村、その北方に下牧村(ともに現北葛城郡上牧町)があり、上里かみさと(現香芝町)・上牧村一帯が賀美郷であったと考えられる。

賀美郷
かみごう

「和名抄」所載の郷。高山寺本は「国用上字」と注記する。「播磨国風土記」に賀眉かみ里とみえ、里名は川上にあるためとする。天平一七年(七四五)九月二一日の仕丁送文(正倉院文書)に「播磨国多可郡賀美郷」戸主山直枝戸口として山直国足の名がある。

賀美郷
かみごう

「和名抄」高山寺本に「賀茂」とあり、東急本には「賀美」とみえる。いずれも訓を欠く。「続風土記」は「賀美」とし、紀ノ川上流の地域で、「其地は大抵今の相賀隅田両荘の地なり」と記す。

賀美郷
かみごう

「和名抄」では高山寺本・名博本が「加美」、伊勢本・東急本・元和古活字本が「賀美」とするが、いずれも訓を欠く。「和名抄」の武蔵国賀美郡の訓「上」(東急本)、伊勢国河曲かわわ郡賀美郷の訓「加美」(東急本・高山寺本・元和古活字本)などを参考にし「かみ」と読む。

賀美郷
かみごう

「和名抄」高山寺本・刊本ともに訓を欠く。「大和志」は「已廃存飛鳥村」として現高市郡明日香村大字飛鳥に比定。「日本紀略」天長六年(八二九)三月一〇日条に「大和国高市郡賀美郷甘南備山飛鳥社、遷同郡同郷鳥形山、依神託宣也」とみえるのは飛鳥の飛鳥坐あすかにいます神社である。

賀美郷
かみごう

「和名抄」高山寺本・東急本は「加美」の訓を付す。郷域は「布留屋草紙」「大日本地名辞書」などは現鈴鹿市林崎はやざき町・上箕田かみみだ町・下箕田町周辺とするが確証を欠く。

賀美郷
かみごう

「和名抄」高山寺本・刊本ともに訓を欠く。郷域未詳。「類聚符宣抄」所収の天暦元年(九四七)一二月二八日の太政官符に「城下郡賀美郷戸主大和宿禰定道」の名がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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