賀川豊彦(読み)かがわとよひこ

精選版 日本国語大辞典 「賀川豊彦」の意味・読み・例文・類語

かがわ‐とよひこ【賀川豊彦】

キリスト教伝道者、社会・労働運動家。神戸出身。神戸市新川の貧民街に入り、自伝的小説「死線を越えて」を発表、ベストセラーとなる。ほかに「一粒の麦」「精神運動と社会運動」など。明治二一~昭和三五年(一八八八‐一九六〇

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デジタル大辞泉 「賀川豊彦」の意味・読み・例文・類語

かがわ‐とよひこ〔かがは‐〕【賀川豊彦】

[1888~1960]キリスト教伝道者・社会運動家。兵庫の生まれ。神戸市北本町の貧民街で伝道を開始。労働争議農民運動協同組合運動を指導。著「死線を越えて」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「賀川豊彦」の意味・わかりやすい解説

賀川豊彦
かがわとよひこ
(1888―1960)

キリスト教社会運動家。明治21年7月10日、神戸市生まれ。幼年期に両親と死別。徳島中学4年のとき洗礼を受ける。明治学院高等部神学予科2年修了後、神戸神学校に転校し、1911年(明治44)卒業。在学中から伝道に従事、1909年21歳のときから神戸市葺合(ふきあい)の貧民窟(くつ)に住み込み、妻はる(1888―1982。1913年結婚)とともに貧民救済にあたった。1914年(大正3)プリンストン大学およびプリンストン神学校に留学。滞米中ニューヨークで労働者のデモ行進に遭遇、またユタ州書記として小作人組合の運動を直接指導、その経験から運動の必要を痛感した。1917年帰国してふたたび葺合の貧民窟に入り、1923年関東大震災救援のため東京へ移住するまで、ここを根拠地とした。帰国直後から友愛会神戸市連合会の活動に参加、1919年には鈴木文治(すずきぶんじ)らと友愛会関西労働同盟会を結成した。1921年には神戸の川崎、三菱(みつびし)両造船所の大争議を指導し投獄された。争議敗北後は合法主義、非暴力主義に立つ賀川に対する批判が強まり、労働運動の第一線から退くが、1922年には杉山元治郎(すぎやまもとじろう)らと日本農民組合を結成した。さらに1924年には政治研究会執行委員、1926年には労働農民党中央委員となるが、その分裂後は無産政党運動からは身を引いた。一方、1920年に出版された自伝的小説『死線を越えて』は大ベストセラーとなり、その他の著作も伝道活動と相まって広く読まれた。賀川は農民伝道のために農村福音(ふくいん)学校を開くほか、関東大震災に際しての罹災(りさい)者救済活動、救らい活動、都市消費組合運動、医療組合の組織、農村産業組合運動など、キリスト教的贖罪(しょくざい)愛の実践としてさまざまな社会事業、社会運動に力を注いだ。また、アメリカ、カナダ、ヨーロッパ、中国、朝鮮、オーストラリアなど世界伝道を精力的に行った。1941年(昭和16)日米戦争の急迫に際してはキリスト教平和使節団の一員として渡米。1940年、1943年には反戦論の嫌疑で憲兵隊に拘置された。戦後は東久邇稔彦(ひがしくになるひこ)内閣の参与となって「一億総懺悔(ざんげ)運動」を提唱。貴族院議員に勅選され、日本社会党の結成にも参加した。その後世界連邦運動に活躍した。昭和35年4月23日死去。

[北河賢三 2018年3月19日]

『賀川豊彦全集刊行会編『賀川豊彦全集』全24巻(1962~1964・キリスト新聞社)』『横山春一著『賀川豊彦伝』(1950・新約書房)』

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改訂新版 世界大百科事典 「賀川豊彦」の意味・わかりやすい解説

賀川豊彦 (かがわとよひこ)
生没年:1888-1960(明治21-昭和35)

社会運動家,近代の代表的キリスト者のひとり。神戸に生まれ,徳島中学在学中,アメリカ人宣教師より洗礼を受けた。明治学院,神戸神学校で学び牧師となる。神学生時代に神戸市葺合の貧民窟に住みこんで伝道を始めたが,プリンストン大学に留学した後も貧民窟にもどった。1920年ベストセラーになった小説《死線を越えて》を出版して有名になる。21年の川崎・三菱神戸造船所争議を指導して労働運動で活躍。関東大震災のあと東京に移り本所にセツルメントを開き救済活動をはじめ各種の社会事業をおこした。労働運動,農民運動,消費組合・協同組合運動などを創始したキリスト教的社会主義者であったが,同時に松沢教会,イエスの友会を創立し,農民福音学校や神の国運動などを推進した大衆伝道者でもあった。さらにその著書が多く外国語に訳され,欧米やアジア諸国にしばしば招かれて伝道と講演をおこない,世界的にその名を知られた。太平洋戦争中にはその反戦平和思想のゆえに憲兵隊や警察に留置された。戦後に東久邇内閣の参与となり総懺悔(ざんげ)運動をおこし,日本社会党の結成に加わりその顧問となる。世界連邦運動に参加しアジア大会の議長もつとめ,キリスト新聞社を創立し,死去するまで国内と世界への伝道に励んだ。《賀川豊彦全集》全24巻(1962-64)にのこされた多くの著作があるが,賀川の特徴は贖罪(しよくざい)愛の実践とキリスト教信仰の政治,社会,経済への具体的な応用の試みにある。
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朝日日本歴史人物事典 「賀川豊彦」の解説

賀川豊彦

没年:昭和35.4.23(1960)
生年:明治21.7.10(1888)
明治末から昭和期の社会運動家。神戸市に生まれ,不遇な家庭環境と病身の苦難の中でキリスト教信仰に入り,明治44(1911)年に神戸神学校を卒業。在学中から神戸市のスラム街に住んで伝道と救済活動に当たる。のち大正9(1920)年に刊行された自伝的小説『死線を越えて』は賀川のスラムでの活動を著名にし,活動資金源となるほどのベストセラーとなった。プリンストン大学留学(1914~17)中に労働運動にふれ,帰国後友愛会に参加。関西地方の労働者に強い影響力を持つようになり,10年の川崎・三菱造船所争議を指導するなど活躍した。争議後は労働運動の指導を離れ,11年に杉山元治郎と共に日本農民組合を結成。15年の労働農民党の結成で中央委員となるが,分裂後は一線から退いた。同年神の国運動を開始し,宗教活動を中心とするようになる。敗戦後は東久邇内閣の参与,貴族院議員となり,日本社会党結成にも関与,また世界連邦運動を推進した。<著作>『賀川豊彦全集』<参考文献>横山春一『賀川豊彦伝』,隅谷三喜男『賀川豊彦』

(有馬学)

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百科事典マイペディア 「賀川豊彦」の意味・わかりやすい解説

賀川豊彦【かがわとよひこ】

社会運動家,日本近代の代表的キリスト者の一人。神戸市生れ。明治学院,神戸神学校,米国のプリンストン大学を卒業。神戸神学校在学中から貧民窟伝道に努めた。イエスの愛を自ら献身して実践しようとし,神戸川崎・三菱両造船所の労働争議(1921年)の指導,東京本所のセツルメントなど,終生清貧に甘んじつつ,労働運動,農民運動,協同組合運動,平和運動に先駆者的な役割を果たした。ベストセラーとなった自伝的小説《死線を越えて》のほか著書多数。全集24巻がある。
→関連項目ベストセラー

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「賀川豊彦」の意味・わかりやすい解説

賀川豊彦
かがわとよひこ

[生]1888.7.12. 神戸
[没]1960.4.23. 東京
キリスト教伝道者。社会運動家。 1903年徳島中学時代,宣教師 H.W.マイヤーズより受洗。 07年明治学院神学予科修業後,神戸神学校に入学したが肺結核となり療養。 09年神戸新川で極貧の人々とともに生活しながら伝道。 10年神学校卒業。 14~16年までプリンストン大学および神学校に学ぶ。 17年帰朝後貧民救済,労働運動,『死線を越えて』以下の文書出版活動,巡回伝道,震災救護活動などを積極的に展開した。また農民組合,協同組合運動にも参画。国際的な講演活動を通して欧米でも著名であった。第2次世界大戦後は世界連邦運動に参加した。著作は『賀川豊彦全集』 (24巻,1963~64) にまとめられている。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「賀川豊彦」の解説

賀川豊彦
かがわとよひこ

1888.7.10~1960.4.23

明治~昭和期のキリスト教伝道者・社会運動家。兵庫県出身。徳島中学校時代にキリスト教に入信,明治学院・神戸神学校で学び,1909年(明治42)から神戸の貧民窟に住みこんで伝道。アメリカ留学後は労働運動にたずさわり,友愛会に参加。19年(大正8)に関西労働同盟会を結成,21年の川崎・三菱造船所争議を指導した。翌年杉山元治郎と日本農民組合を結成。消費組合運動にも参画。キリスト教の布教も続け,海外でも伝道活動に従事。第2次大戦後は日本社会党結成に参加した。1920年に出版した小説「死線を越えて」はベストセラー。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「賀川豊彦」の解説

賀川豊彦 かがわ-とよひこ

1888-1960 大正-昭和時代の牧師,社会運動家。
明治21年7月10日生まれ。神戸神学校在学中にキリスト教伝道活動にはいり,まずしい人々の救済につくす。大正8年友愛会関西労働同盟会の結成に参加。川崎・三菱造船所争議など労働組合運動,農民組合運動で活躍。のちふたたび布教活動にしたがう。戦後は社会党の結成に参加。また世界連邦運動にもかかわった。昭和35年4月23日死去。71歳。兵庫県出身。小説に「死線を越えて」「一粒の麦」など。
【格言など】すべての生命は元素に復帰し,そして原子は不滅である(遺書)

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旺文社日本史事典 三訂版 「賀川豊彦」の解説

賀川豊彦
かがわとよひこ

1888〜1960
明治末期〜昭和期のキリスト教社会主義者
兵庫県の生まれ。アメリカのプリンストン大学卒。神戸のスラム街で伝道。米国留学から帰国後,友愛会幹部として川崎・三菱造船所の争議を指導。1922年,日本農民組合を創立。消費組合にも活躍し,海外伝道も行った。主著に『死線を越えて』など。

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世界大百科事典(旧版)内の賀川豊彦の言及

【木崎村小作争議】より

…農民組合長佐藤三代松が責任を痛感して自刃したため,立入禁止は一時解除されたが,真島らはこの解除と前後して耕作禁止・土地返還・小作料請求の訴訟をおこした。農民側は,三宅正一,賀川豊彦らの講師を招き啓蒙活動をおこなうなどして組織を拡充強化したが,26年4月には地主側の勝訴となる。これに対し,立入禁止の仮執行停止を求める農民側の申請が許可されるが,その数時間前の5月5日夜,執達吏・警察・地主による立入禁止が強制執行され,警察は農民側を激しく弾圧して佐藤佐藤治ら数十名を検束した。…

【昆虫記】より

…しかしシートンの《動物記》が,その科学的観察の背後に,擬人的英雄主義のひずみを蔵しているのにくらべ,《昆虫記》には擬人主義をつとめて修辞的擬人法の範囲内にとどめようとする努力が見られ,その点,本書の科学書としての価値を過小評価してはならない。 なお,ファーブルを日本に最初に紹介したのは賀川豊彦であり(大正初期),《昆虫記》の邦訳は大杉栄によるものが最初である。【林 達夫】。…

【産業民主主義】より


[日本の産業民主主義]
 第2次大戦前には労働運動は厳しい取締りのため伸び悩んだが,大正デモクラシーの高揚に支えられて第1次大戦直後に普選運動と結びついて活動を広げた。そのなかで賀川豊彦らの指導のもとで団体交渉権と工場委員会制の獲得を目ざす運動が,欧米の産業民主主義思想を導入しながら進められたが,1921年(大正10)の三菱神戸・川崎造船所争議の敗北によって終息した。第2次大戦後の労働組合運動は,〈経営民主化〉をスローガンとして経営に対する労働者の発言権を飛躍的に拡大し,産業民主主義の運動目標をほとんど実現したが,経済再建過程で経営権が復活すると大幅に後退した。…

【死線を越えて】より

賀川豊彦の長編小説。1920年(大正9)《改造》に途中まで連載の後,改造社より刊行。…

【全農】より

…1947年7月,日本農民組合第2回大会で除名された平野力三らが,反共・反ファッショ・反資本主義の三反主義を標榜して結成した。会長賀川豊彦,顧問に杉山元治郎と平野を擁し,農産物価格,税金,供米などを闘争課題とし,農業協同組合設立促進運動もおこなった。社会党右派の農民組織としての性格をもち,58年の全日本農民組合連合会(全日農)の結成には参加したが,60年,日本社会党から民社党が分裂したため,全農系の人々は全日農から脱退して全国農民同盟を創設した。…

【日農】より

…大正期以後,3次にわたって日本農民組合と称する全国的農民組織が結成され,いずれも日農と略称する。(1)日本最初の全国的農民組合組織 1922年4月9日,賀川豊彦,杉山元治郎,山上武雄,古瀬伝蔵らを指導者として神戸で創立。杉山を組合長とし,機関紙《土地と自由》を発刊した。…

【農民運動】より


[戦前]
 第1次大戦による日本資本主義の急激な膨張を背景に,地主・小作間の矛盾は各地で顕現し,小作争議件数は,1918年250件,20年408件と年々増勢した。この高揚のなかで,21年10月には賀川豊彦杉山元治郎らが中心となって農民組合の全国組織を計画,翌22年4月9日,神戸で日本農民組合(組合長杉山)が創立された。日農が結成されると下部組織は西日本を中心に急速に広がり,岡山,大阪,兵庫,香川などでは日農の指導のもとに大規模で激しい農民運動が展開した。…

※「賀川豊彦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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