貸座敷(読み)かしざしき

精選版 日本国語大辞典 「貸座敷」の意味・読み・例文・類語

かし‐ざしき【貸座敷】

〘名〙
料金を取って、会合食事をする客に貸す座敷貸席
※俳諧・類船集(1676)末「円山霊山のかし座敷に鞠場のなきは、まれなり」
男女密会部屋を貸す小家。明治以降は、娼妓を置いて客を遊興させる家。遊女屋
※雑俳・川柳評万句合‐明和四(1767)仁一「かし座敷しばらくあって又壱人」

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デジタル大辞泉 「貸座敷」の意味・読み・例文・類語

かし‐ざしき【貸(し)座敷】

料金を取って貸す座敷。貸し席。
《明治以後、公娼こうしょう妓楼ぎろうの座敷を借りて営業したところから》遊女屋。女郎屋

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改訂新版 世界大百科事典 「貸座敷」の意味・わかりやすい解説

貸座敷 (かしざしき)

会合などのために有料で部屋を貸す貸席の意であるが,江戸中期以後は男女の密会のために座敷を提供するのを業とする家の称となり,出合(であい)茶屋,陰間(かげま)茶屋の別称として用いられた。それが1872年(明治5)の娼妓(しようぎ)解放令後は,明治政府による公娼遊郭制度下の遊女屋の公式名称となった。すなわち,娼妓解放令マリア・ルース号事件に対する外交的配慮の所産であったから,政府は公娼制を維持するために,遊女を娼妓,遊女屋を貸座敷と改称して再編をはかった。娼妓が営業するための場所(座敷)を貸すという意味である。しかし,娼妓の前借金による身体拘束契約の無効は容易に認められず,逆に娼妓が貸座敷に同居するように義務づけるなど,公娼制度実質は変わらなかった。再編当初は,大阪では席貸と称するなど地域差を残していたが,1900年に内務省令によって全国的に統一の取締法を定めて制度を強化した。それ以前からも,私娼地帯を公娼化する例が多く,1897年ごろには全国の総数は1万軒をこすありさまであった。貸座敷は遊興費の40~50%を収入としたが,娼妓の購入物品(衣類,日用雑貨など)や遊客の飲食物代金などに多額の水増しを加算して暴利を得ていた。警視庁令にもとづき,警察の監督下におかれ,指定区域内に限って営業していたが,1946年の公娼廃止とともにその名は消滅した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「貸座敷」の意味・わかりやすい解説

貸座敷
かしざしき

遊女屋の公称。1872年(明治5)の娼妓(しょうぎ)解放令以後、娼妓が営業するための座敷を貸すものとして遊女屋を貸座敷と改称した。実質は従前と変わっていない。貸座敷の営業は内務省の統轄のもとに、指定地以外での営業は許されず、その存廃は各府県がこれを定め、警察署が取締りにあたった。その規模により等級を分けられたが、いわゆる大店(おおみせ)では娼妓のほか、妓夫(ぎゆう)、遣手(やりて)らの使用人が十数人に及んだ。1946年(昭和21)公娼制廃止とともに消滅した。

[原島陽一]

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世界大百科事典(旧版)内の貸座敷の言及

【置屋】より

…ただし,芸子(げいこ)・白人(はくじん)などの私娼(ししよう)の場合は,客をあげても単に置屋とだけ呼ばれた。明治以後は,女郎屋に貸座敷という公用語が適用されたので,もっぱら芸妓に用いて芸妓置屋といい全国に通用することになったが,その組合などは芸妓屋組合と称する例が多い。なお,関西では芸妓の住居を屋形と俗称し,自前屋形と店屋形とにわかれた。…

※「貸座敷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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