買弁(読み)バイベン

デジタル大辞泉 「買弁」の意味・読み・例文・類語

ばい‐べん【買弁/買×辦】

中国で、朝末期から人民共和国成立まで、外国商社銀行などが、中国人と取引するときの仲介者とした中国人商人
外国資本従属して利益を得、自国および自国民の利益を抑圧する資本家。「買弁資本」

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「買弁」の意味・わかりやすい解説

買弁
ばいべん

商慣習やことばの違いから外国企業が自らなしえない中間的な機能を果たした中国人商人をさす。外国企業に専属して取引を請け負い、手数料や商品鑑定料を収入とした。明(みん)代以来、宮廷の需要品購買にあたる役職の「買弁」に、ポルトガル語のcompradore(買付商の意味)を訳語としてあてたもの。

 南京(ナンキン)条約(1842)によって従来の清(しん)朝特許商人が担う公行(コーホン)体制から条約体制に移行、外国企業の中国進出が始まると、それまではおもに通訳の任にあった買弁が、商取引の力量を生かし、貿易、不動産、海運鉄道、金融、保険など各業種のなかで重要な位置を獲得した。おもな人物では、たとえば潘士銓(はんしせん)(英系の商社ジャーデン・マセソン社の怡和(いわ)洋行上海(シャンハイ)支店)、葉明斉(日本の横浜正金(しょうきん)銀行上海支店)、王一亭(日本の日清汽船)などがいる。彼らは外資・技術導入には役割を果たしたが、それが外国企業の利益のみに奉仕することを嫌い、民族資本に投資した祝大椿(しゅくだいちん)(怡和洋行上海支店)などもいる。

 日清戦争後に中国への製造業資本輸出が始まり、外国企業の数は1895年では603社、従業員約1万人であったものが、1915年には4735社、約18万人となり、1930年には8279社、約36万人にまで増大した。そのため、特定の個人を買弁とよぶかわりに、外国資本に従属する資本を買弁資本とよぶ習慣が生まれた。これはやがて中国革命の打倒対象と認識され、1949年の中華人民共和国の成立とともに消滅した。

[加藤祐三]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「買弁」の意味・わかりやすい解説

買弁
ばいべん
mai-ban; mai-pan

元来は中国で官庁の必要品を調達する者をいう。清代,アヘン戦争前には広東で外人商館や外国船に食料をはじめ必需品を供給する特定の商人を買弁といった。南京条約 (1842) 以後は中国に進出してきた外国商社のために,中国国内での商取引を請負い,手数料を得ていた中国人商人を称した。欧米では,コンプラドル compradoreと呼ぶが,ポルトガル語の comprar (買う) が語源で,購買者の意。のち,列強の資本が中国内の工場,銀行,鉱山,鉄道,航路に投下されると,これら企業の経営を請負うとともに,みずからもこれらの企業に投資するようになった。これが買弁資本で,外国資本,官僚資本とともに中国資本主義の基幹部門を掌握していた。帝国主義への従属を存立の基盤とする点で民族資本とは対立し,中国革命の打倒対象とされた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「買弁」の解説

買弁
ばいべん
mǎibàn (comprador)

19世紀半ば以後の中国で,外国資本に結びついて売買取引きを請け負った商人
1842年の南京条約後,手数料・通貨鑑定料などを得て巨富を蓄積。のち,工場・鉄道・船舶などの経営を行い,外国帝国主義の政治的・経済的代理人として民族資本と対立し,中国の半植民地性を特色づけた。中華人民共和国は買弁資本を没収し,その企業を国営とした。なお,買弁的性格は官僚・軍閥にもみられた。

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普及版 字通 「買弁」の読み・字形・画数・意味

【買弁】ばいべん

仕入れる。

字通「買」の項目を見る

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