貴族院
きぞくいん
二院制の国会で、世襲の貴族や高官などによって構成される議院。議会制の長い歴史をもつイギリスでは、古くウィリアム1世(在位1066~87)のころから国王の諮問機関として大貴族よりなる大会議magnum conciliumを有していたが、しだいに小貴族、市民代表が参加することになり、のちに分裂して、世襲制の貴族階級によって構成される貴族院House of Lordsと、市民代表からなる庶民院House of Commonsの二院制が成立した。民主政治の発展とともに、公選制の庶民院に政治の実権が移り、貴族院は名目的存在となった。貴族院の制度は、イギリスの影響を受けたヨーロッパ諸国、すなわち立憲君主制時代のフランス、第一次世界大戦以前のプロシア王国、バイエルンなどのドイツ諸国、オーストリアなどにみられたが、現代では、イギリスを除いて存在しない。
わが国では、明治憲法下の帝国議会が衆議院および貴族院から構成された。権限のうえでは衆議院と貴族院はほぼ同等とされたが、衆議院が公選議員によって構成されるのに対して、貴族院は貴族院令の定めるところにより、皇族議員、華族議員および勅任議員によって組織された(旧憲法34条)。
貴族院令によれば、皇族議員は、成年に達した皇族は当然議員となる。華族議員のうち公侯爵を有する者は、満30年(大正14年〈1925〉の改正前は満25年)に達すれば当然議員となり、伯子男爵を有する者は、総数150人(大正14年改正前は176人)で、同爵者中の選挙により選出され、その任期を7年とした。勅選議員は、(1)終身議員として、国家に勲労ある者または学識ある者のなかから勅選される満30年以上の男子125人、(2)帝国学士院会員より互選される任期7年の議員4名(大正14年の改正により追加)、(3)多額納税者議員として各府県から多額納税者100人に対して1名の割合で互選された任期7年の議員66名以内、の3種類があった。
以上の組織で明らかなように、貴族院は、大土地所有者、資本家、高級官僚など、旧憲法時代における特権支配層を代表し、また同時に天皇制の防塞(ぼうさい)たる役割を担うものであった。公選議員よりなる衆議院の政党化に伴い、政党と藩閥官僚との対立が表面化すると、貴族院がときにキャスティング・ボートを握り、あるときは政府と対立し、またあるときは政府と結んで野党を抑えた。第四次伊藤博文(ひろぶみ)内閣における予算案(1901)、第一次、第二次西園寺公望(さいおんじきんもち)内閣における郡制廃止案(1907)、選挙法改正案(1912)をめぐる政府との対立が前者の例であり、清浦奎吾(けいご)内閣の成立(1924)に対する支援が後者の例である。清浦内閣の成立に関しての貴族院の態度に反発する護憲三派の不満を直接の契機として、1925年、貴族院の一部改革が行われた。
昭和に入り、軍部が台頭し、二・二六事件による政党政治の終焉(しゅうえん)とともに議会政治は有名無実となり、貴族院もその存在意義を失った。1947年(昭和22)日本国憲法の施行により貴族院は廃止された。新憲法下でも二院制は維持されたが、衆議院、参議院とも公選議員により組織されることとなった。
[山野一美]
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貴族院【きぞくいん】
帝国議会の一院。1890年創設。皇族・華族・勅任議員からなる。成年に達した皇族と30歳以上の公・侯爵は全員(終身),伯・子・男爵は各5分の1(互選,任期7年),勅任議員は多額納税者から互選された者(府県ごと各1名,任期7年)と〈国家ニ勲労アリ又ハ学諳アル者〉から天皇が任命した勅選議員(30歳以上,終身)からなり,有爵議員が半数以上を占める定めで,解散はなかった。1925年の改正で多額納税議員の枠を拡大し,帝国学士院会員の互選によって新たに学識経験者を勅任することとなった。特権階級と支配者上層部から構成されていたため国民代表的性格はほとんどなく,天皇制擁護の牙城(がじょう)として衆議院を牽制(けんせい)し,政党勢力の進出に対抗した。1947年廃止。
→関連項目赤松則良|鵜沢総明|黒田清輝|二院制|予算先議権
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きぞく‐いん ‥ヰン【貴族院】
〘名〙
① 貴族制度をもつ立憲君主国の二院制の議会における
上院。貴族・官選議員などで構成される。貴院。
※米欧回覧実記(1877)〈久米邦武〉三「立法官は、貴族院と民代院と二に分る」
②
大日本帝国憲法により、衆議院とともに帝国議会を構成した一院。皇族、華族、勅任議員からなる。衆議院と対等の権限をもち、特権階級の利益を代表した。日本国憲法の公布により、昭和二二年(
一九四七)廃止。貴院。
※大日本帝国憲法(明治二二年)(1889)三三条「帝国議会は貴族院衆議院の
両院を以て成立す」
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貴族院
きぞくいん
大日本帝国憲法のもとで,帝国議会を衆議院とともに構成していた上院の名称
1890(明治23)年開設。皇族・華族・勅選議員などで構成。封建的特権階級を代表する機関で,予算先議権を衆議院に譲るほかは衆議院と対等の権限をもった。第2次護憲運動は貴族院の改革をとり上げたが,根本的改革は実現しなかった。1947年日本国憲法で廃止された。
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デジタル大辞泉
「貴族院」の意味・読み・例文・類語
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きぞくいん【貴族院】
1890‐1947年大日本帝国憲法下で衆議院とともに立法府を構成した機関。国民代表的性格をほとんどもたない点で,一般の〈上院〉や戦後の参議院とは根本的に異なる機関である。その構成は,成年に達した皇族男子と30歳以上の公・侯爵の全員,30歳以上の伯・子・男爵の各5分の1(互選),〈国家ニ勲労アリ又ハ学識アル者〉から天皇が任命する勅選議員(30歳以上),および各府県の多額納税者の上位15人から1人を互選する多額納税議員からなり,公・侯・伯・子・男の有爵議員が議員の半数以上を占める定めとなっていた。
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世界大百科事典内の貴族院の言及
【イギリス】より
…しかし16世紀に入り,司法体としてよりも立法機関としての議会に国家統治上の効用が見いだされたことや,王室財政の膨張に対する臣民の関心が強まったことなどの事情から,財政負担承認に優越的権能をもつ下院(庶民院House of Commons)の重要性と人気が高まった。 〈名誉革命〉後,王権による議会権能侵犯の危険が法的に抑制されたのに加え,ウィリアム3世の始めた長期にわたる大陸戦争の戦費調達を承認するため,定期的な議会開催が慣例となった結果,下院は上院(貴族院House of Lords)を凌ぐ有力な統治機関として確立された。予算承認と引換えに,内閣の人員構成を通して国王の統制を図る制度的基礎が固まり,内閣は事実上政府そのものとして認知されていく。…
【研究会】より
…子爵議員を中心とする貴族院内最大の院内団体で,1891年11月に結成され,1947年3月の帝国議会の終幕まで存続した。結成当時の幹部は,伯爵大原重朝,子爵京極高典,同加納久宜,同山内豊誠,同鍋島直虎,同堀田正養で,1892年11月の第4議会開会当時には70名の議員を擁していた(侯爵1,伯爵6,子爵26,男爵10,勅選12,多額納税者15)。…
【最高裁判所】より
…ただし,これらは違憲立法審査権をもたず,その権限を行使するのは,別に設置される連邦憲法裁判所Bundesverfassungsgerichtである。ほかにイギリスの貴族院House of Lords,フランスの破毀院Cour de cassationが司法の最高機関として,日本の最高裁判所に相当するといえるが,その性格や機能の面で異なる点も多くみられる。
[最高裁判所裁判官]
最高裁判所は,15名の裁判官により構成され,その長たる裁判官を最高裁判所長官,他の14名の裁判官を最高裁判所判事という。…
【参議院】より
…なお,その名称については,当時,〈第一院〉〈上院〉〈公議院〉〈特議院〉〈審議院〉といった案も検討されたが,結局,〈参議院〉という名称に落ち着いた。 そもそも,両院制(二院制)とは,国民を直接代表する議院とともに,第二院たる議院をもって構成する議会制度であるが,後者は,その設置の目的に従って,(1)特権的少数者の利益保護を目的とする貴族院型,(2)社会の職能的集団を代表させようとする職能代表型,(3)高い知性・専門知識の会議体として構成しようとするブレーン・トラスト型,(4)他院のコントロールを目的とする機関内統制型,(5)連邦を構成する各邦を代表する連邦型に類型化することができる。もとより,こうした類型化は,あくまで理念型にすぎず,実際には,それらの複合的な性格を示すことは,明治憲法時代の貴族院が,(1)のみならず,(3)(4)の役割をも果たすことが期待されたこと,そして,現行の参議院が,(2)のみならず,(3)(4)の役割をも果たすことが期待されていることからも明らかである。…
【上院】より
…その正式な名称は,国によって異なる。たとえば,アメリカ合衆国では元老院Senate,イギリスでは貴族院House of Lords,ドイツでは連邦参議院Bundesrat,旧ソ連では民族ソビエト(民族会議)Sovet Natsional’nostei(ソ連崩壊後のロシア連邦では連邦会議),日本では明治憲法下にあっては貴族院,現在は参議院である。その構成や機能も多様であるが,大別すれば,(1)世襲貴族や資産階級などの特権的階層を代表し,保守勢力の利益を擁護するもの(イギリス,明治憲法下の日本),(2)連邦国家において,州を代表し州の利益を代弁するもの(アメリカ合衆国,ドイツ,旧ソ連など),(3)職能代表あるいは良識の府としての役割を期待されているもの(アイルランド,旧ユーゴスラビアなど)などに分けられる。…
【帝国議会】より
…1890年から1947年まで存続し,天皇主権下における立法機関として機能した。
[機構と権限]
帝国議会は皇族・華族・勅任議員によって構成される貴族院と,公選議員で組織される衆議院との2院からなり,その権能はほぼ対等になっていた。また,議会の開会,閉会,停会などは天皇大権に属し,さらに特定案件の下では緊急勅令を制定し,大権事項にもとづく歳出項目について政府の同意なしに議会が廃除・削減することはできず,議会が予算案を否決した場合に,政府は前年度予算を施行できることなどが憲法に規定されており,議会独自の権能である立法権,予算審議権を大きく制約するものであった。…
※「貴族院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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