貢士(読み)こうし

精選版 日本国語大辞典 「貢士」の意味・読み・例文・類語

こう‐し【貢士】

〘名〙
中国で、地方から才学のある士を選抜して中央政府推薦すること。また、この推薦された人。明清以後は、会試に及第して、まだ殿試を経ない者をいう。〔尚書大伝‐皐陶謨〕
令制で、式部省省試に及第した者。進士。
※菅家文草(900頃)一・冬日賀船進士登科兼感流年「苦惜分陰貢士家、登科自此甚寛
③ 明治維新当初、諸藩主推挙により藩論を代表して公議に参与した議事官。慶応四年(一八六八)一月に設置された下の議事所、ついで同年閏四月に改称された議政官下局に出仕した。定員は四〇万石以上の大藩から三名、一〇~三九万石の中藩から二名、九万石以下の小藩から一名ずつ。同年五月下局が貢士対策所となって、公務人(のち公議人)に統一された。
※新日本史(七版)‐上(1893)〈竹越与三郎〉維新後記「下院とも云ふべき徴士貢士の一階級を付せり」

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デジタル大辞泉 「貢士」の意味・読み・例文・類語

こう‐し【貢士】

中国で、地方からすぐれた子弟を中央政府に選抜・推薦すること。また、その者。明代以降は、科挙の会試に合格してまだ殿試を経ない者をいった。
慶応4年(1868)諸藩から選ばれて藩論を代表し、議事所に出仕して議事に参与した人。

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改訂新版 世界大百科事典 「貢士」の意味・わかりやすい解説

貢士 (こうし)

明治維新期の議事官。1868年(明治1)1月17日三職分課の官制により,諸藩の徴士,貢士らによる下の議事所(公卿,諸侯の会議所は上の議事所)を設けた。徴士は諸藩士および都鄙(とひ)の有才の士から選抜されたもので参与職,分課の掛(のち判事)となったものをいい,貢士は大藩(40万石以上)から3名,中藩(10万石以上)から2名,小藩(10万石未満)から1名ずつ選出されたものをいった。貢士はいわば藩の代表として議事に参加するわけであるが,才能によっては徴士に昇格することもあった。同年閏4月21日政体書が発布され,議政官が設けられ,上局・下局が設けられると参与でもあった徴士は議定とともに上局を構成し,下局は議長2名のほか貢士を議員として構成された。下局は上局の命を受け租税,駅逓,造幣度量衡,条約,通商,拓彊,宣戦講和,警察,軍事,各藩間の訴訟を扱ったが,立法機関としての独自性は弱かった。同年5月24日大木喬任,坂田莠を議長に任じ貢士対策規則を定めた。貢士は貢士対策所で下問に対する建策を行うことになり,5月27日には諸藩に公務人を置き貢士をこれに任じた。この改革で議政官下局が貢士対策所と改称されたとする説が多いが,下局がなくなったわけではない。7月23日秋月種樹が下局議長となり,8月1日貢士対策所は廃止された。8月20日公務人を公議人と改称,9月19日には議政官を廃止して議事体裁取調所を設け本格的な議事機関設立の準備をはじめた。
公議所
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「貢士」の意味・わかりやすい解説

貢士
こうし

藩が朝廷へ差し出した議員の呼称。貢とは「すすめる」という意味である。1868年(明治1)正月17日、七科制が置かれると同時に、徴士(ちょうし)、貢士の制が新設された。定員は、40万石以上の大藩から3名、10万石以上39万石までの中藩から2名、9万石以下の小藩から1名、選抜の人事権は藩主にあり、任期はなく、藩論を代表して下の議事所(下議院)の議員となった。同年閏(うるう)4月、政体書に基づき太政官(だじょうかん)が復興されて議政官が置かれると、下局の議員となり、下局が貢士対策所となるとその議員となった。旧来、藩には対外交渉を担当する留守居役(るすいやく)が置かれていたが、同年5月、これと貢士が合併して公務人となった。8月、公務人は留守居役の系譜を引く公用人と、貢士の系譜を引く公議人に分離した。

[井上 勲]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「貢士」の解説

貢士
こうし

1868年(明治元)1月,政府が諸藩に命じて差し出させた代議員。大藩3,中藩2,小藩1の定員で選ばれ,下(しも)の議事所に列して藩論を代表して議事に参加した。下の議事所・下局・貢士対策所と改称された諸機関のもとで,貢士は租税・外国条約などについて議し,徳川慶喜(よしのぶ)処分・兵制確立などの重要課題の諮問に答えた。貢士の多くは留守居役の兼任で,近世以来の伝統で大勢順応に努めたが,付和雷同と非難され,5月28日,両者分離のため公務人の職が設けられ,貢士の称は廃止された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「貢士」の意味・わかりやすい解説

貢士
こうし
gong-shi; kung-shih

(1) 古く中国で諸侯から中央政府に有能な人物を推挙すること,また推挙された人物をいう。のち明代では,科挙の最終試験である殿試受験の有資格者,つまり会試に合格した者をいった。この制度は清朝末期まで続いた。 (2) 日本では明治初年,太政官内に徴士,貢士の制を定めた。貢士は諸藩から1~3名ずつ推挙され,下ノ議事所の議員となった。しかしこの制度は数ヵ月で解消された。

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旺文社日本史事典 三訂版 「貢士」の解説

貢士
こうし

明治初年の議事官
藩主の推薦により藩論を代表し,1868年公議機関として設けられた「下の議事所」の議事に参加。政体書が公布されると議政官下局の議員となり,さらに公議所の議員(公議人)となり政府・諸藩の連絡を担当した。

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普及版 字通 「貢士」の読み・字形・画数・意味

【貢士】こうし

地方から薦挙を受けた人、会試の及第者。

字通「貢」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の貢士の言及

【科挙】より

…合格者は300名くらいあるのを普通とする。合格者は貢士と称せられるが,これはすぐ後に殿試に応ずる者という意味の呼称で,恒久的な学位ではない。 殿試は会試直後の4月に宮中の保和殿で挙行される最後の大試験であるが,その直前に会試覆試なる小試験が行われる。…

【公議所】より

…議長は議政官下局議長であった秋月種樹。公議所は議政官下局およびその内部機関である貢士対策所の後身で1868年8月1日の貢士対策所の廃止,9月19日議政官の廃止と議事体裁取調所の設置が行われ,後者における審議をへて公議所の設置が決定された。公議所の名称は,当時流行の〈公議政体〉〈公議輿論(よろん)〉の語に由来するが,この年1月の鳥羽・伏見の戦ののち江戸幕府が設けて立憲政体の取調べを命じたことがあり,奥羽越列藩同盟でも中心機関を公議所と称したことがあった。…

※「貢士」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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