豊島牧(読み)てしまのまき

日本歴史地名大系 「豊島牧」の解説

豊島牧
てしまのまき

箕面市西部の箕面川流域辺にあった牧。平安時代に成立し、鎌倉時代も東の近衛家領垂水西たるみのにし萱野かやの郷と隣接して存在した。当牧はもと平安初期に設けられた近都牧六ヵ所の一つで、鳥養とりかい(現摂津市)為奈野いなの(現兵庫県伊丹市)とともに右馬寮に属し、諸国貢馬を放飼・繋飼する中央直轄の牧であった(「延喜式」左右馬寮)。この近都牧豊島牧がのちに摂関家領垂水牧に転化するという説もあるが、勝尾寺文書や瀧安寺文書で鎌倉時代にも右馬寮領豊島牧があったことが確認されるので、転化説は成立しない。

承久の乱の直後、元仁二年(一二二五)正月一八日に箕面寺(瀧安寺)が焼亡したが(「百錬抄」同日条)、このとき「右馬寮豊島御牧」も同寺再建の勧進に加わり、箕面寺造営用途として米二〇石を寄進している(元仁二年三月五日「右馬寮下文案」瀧安寺文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報