谷口雅春(読み)タニグチマサハル

デジタル大辞泉 「谷口雅春」の意味・読み・例文・類語

たにぐち‐まさはる【谷口雅春】

[1893~1985]宗教家。「生長の家」の創始者兵庫の生まれ。大正時代大本教機関誌編集に携わったのち同教を去り、昭和4年(1929)神示を受けて、独自の教義確立。修養誌「生長の家」を刊行し、光明思想の布教にあたった。著「生命実相」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「谷口雅春」の意味・わかりやすい解説

谷口雅春
たにぐちまさはる
(1893―1985)

宗教家。新宗教教団「生長の家」の創始者で初代総裁本名正治(まさはる)。1893年(明治26)六甲山麓(ろっこうさんろく)(現、神戸市)の貧農次男に生まれる。幼時から叔母に養われ、文学を志して早稲田(わせだ)大学英文科に学ぶが、思想遍歴や女性問題により養家の学資を断たれて中退。紡績会社勤務の後、1917年(大正6)に大本(おおもと)教へ入信、教主出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)の下で活躍した。1920年に教主臨席で同信者江守輝子(えもりてるこ)(1896―1988)と結婚したが、1922年に同教を去ってふたたび上京。1929年(昭和4)12月に「生命の実相を知れ」との啓示を受け、翌1930年3月1日に雑誌『生長の家』を創刊して立教、以来独特の文書伝道により教勢を拡大した。

[薗田 稔 2018年6月19日]

『谷口雅春著『生命の実相』全20巻(1932・光明思想普及会)』

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改訂新版 世界大百科事典 「谷口雅春」の意味・わかりやすい解説

谷口雅春 (たにぐちまさはる)
生没年:1893-1985(明治26-昭和60)

生長の家の創立者。本名正治。神戸市近郊の農家の次男として生まれた。1914年恋愛問題で早稲田大学を中退,紡績会社で過酷な女子労働の実態にふれ,人生と職業の問題に悩む。17年大本教入信,浅野和三郎の下で《神霊界》の編集に従事した。大本教第1次弾圧を機に22年離教し,浅野の心霊科学研究会に参加。30年に《生長の家》創刊,病気治しと人生問題の解決法で評判をとった。以後生長の家の指導者として活躍した。
生長の家
執筆者:

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「谷口雅春」の解説

谷口雅春 たにぐち-まさはる

1893-1985 大正-昭和時代の宗教家。
明治26年11月22日生まれ。大本教,西田天香(てんこう)の一灯園をへて浅野和三郎の心霊科学研究会に参加。昭和4年「物質はない,実相がある」との神示をうけ,5年雑誌「生長の家」を創刊,病気と人生問題の解決をうたい信者をふやす。15年宗教結社生長の家を設立,初代総裁。昭和60年6月17日死去。91歳。兵庫県出身。早大中退。本名は正治(まさはる)。著作に「生命の実相」など。
【格言など】敵は自分に生長する栄養物を与えてくれる味方である

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「谷口雅春」の意味・わかりやすい解説

谷口雅春
たにぐちまさはる

[生]1893.11.22. 兵庫
[没]1985.6.17. 長崎
生長の家」総裁。 1914年早稲田大学中退。心霊術,精神療法を学び,大本教を経て 38年「生長の家」を創立,万教帰一の宗教を唱えた。著書『生命の実相』 (20巻) ほか多数。

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世界大百科事典(旧版)内の谷口雅春の言及

【生長の家】より

谷口雅春が創立した大本教系の新宗教。1929年,谷口は〈物質はない,実相がある〉との神示を受けて教義を確立,30年神戸で雑誌《生長の家》を創刊し,32年より雑誌のバックナンバーを合本し,聖典《生命の実相》としてつぎつぎに刊行した。…

※「谷口雅春」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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