謡本(読み)ウタイボン

デジタル大辞泉 「謡本」の意味・読み・例文・類語

うたい‐ぼん〔うたひ‐〕【謡本】

謡曲の詞章を書き、節付けの譜を傍記した本。謡曲を謡うためのテキストで、時代・流儀により体裁は多様。

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精選版 日本国語大辞典 「謡本」の意味・読み・例文・類語

うたい‐ぼん うたひ‥【謡本】

〘名〙 謡曲の詞章を書いた本。ふつう、詞章のわきに節付を示す符号が付いていて、謡曲をうたうためのテキストとして用いる。うたいのほん。
言経卿記‐天正四年(1576)正月二〇日「諷本十冊〈五十番〉御借用之間進上了」

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改訂新版 世界大百科事典 「謡本」の意味・わかりやすい解説

謡本 (うたいぼん)

能の詞章を記し,それに節付けを示す譜を傍記したもの。ただし,アイ(間狂言)の言葉は除外または省略されているのが普通で,これは,謡本が能の上演台本(能本)というよりも,謡曲を学ぶための稽古本という性格が強いからであり,謡曲本ともいう。現在,シテ方各流とワキ方1流の謡本が刊行されているが,それぞれ特色ある書体と趣をもっている。1曲1冊(一番綴・稽古本),または5曲1冊(五番綴・揃本)としたものが多く,装丁は和装が主で,大きさは半紙半切本,横本,袖珍本(しゆうちんぼん)など各種ある。簡便な洋装横本の百番集もある。

 現存最古の謡本は,15世紀の世阿弥自筆本で,《難波》《江口》《雲林院》など9巻(ほかに近世に臨写した《弱法師》)が伝存し,本文はかたかな書きで,譜は心覚え程度であるが,根本の方針は今と変りがない。ごくまれだが演出注記もあり,世阿弥は〈謡の本〉とも〈能の本〉とも呼んでいる。次いで金春(こんぱる)禅鳳筆の謡本(約20曲)が古く,フシ(節)の部分全部にいわゆるゴマ点がついている。が公家,武家,富商などの素人の間に流行した16世紀(天文,天正)ごろから,謡の稽古用のテキストとして謡本がしきりに書写されるようになり,公家の日記にも謡本貸借の記事がみえる。やがて能筆家で謡にも堪能な鳥養宗晣(とりかいそうせつ)(道晣)などのように,謡本の書写を専門とする者も現れた。17世紀(慶長前後から江戸初期)になると,謡人口や層が増大し,おりからの印刷技術の進歩とあいまって,謡本は続々と刊行されるようになった。なかでも,1600-01年(慶長5-6)に鳥養宗晣が出版した金春流謡本(71曲が現存)は最初の版行謡本で,ひらがなまじりの国文学書の出版としては最も早い。宗晣が書写または出版した謡本は〈車屋本(くるまやぼん)〉と呼ばれる。1605-15年には当時の謡の主流であった観世流の謡本がつぎつぎに出版され,特に桃山文化の逸品とされる豪華な〈光悦本〉(嵯峨本。100冊100番で一揃い)が著名。元和6年(1620)の奥付と観世大夫暮閑の名のある〈元和卯月本(げんなうづきぼん)〉(全100番)は刊年を明記した最初の謡本で,5流を通じて最初の家元公認本である。

 江戸初期以降,謡がいっそう盛んになると,書店間の競争も激しさを増し,謡本の体裁も整備工夫されていった。1658年(万治1)には型付,作リ物図,アイのせりふ,間拍子(まびようし)等を収載した下掛り謡本〈仕舞付百番七太夫流〉(七太夫仕舞付と通称)が出版されたが,能の台本の実質をそなえたこの本は他に例がない。引歌の説明や辞解を頭注形式で示した1659年の〈山本長兵衛本〉,刊本として最初にツヨ(強)吟・ヨワ(弱)吟を明示した金春流の〈六徳本〉(1681),初めて詳しい〈直し〉(細部の旋律を指示する符号)を加えたほか金春流との本文の相違や装束付,作者名などを注記した1691年(元禄4)の観世流〈小河多左衛門本〉など,詳しい謡本が刊行され,謡本の形式も元禄年間(1688-1704)にほぼ完成し,本文校訂に厳密さを加えつつ今日に引き継がれている。当時の通行曲(200番前後)のほかに多くの番外曲も書写または出版され,謡曲の一部を集めた各種各様の曲舞(くせまい)集や小謡(こうたい)本も多数出版された。寺子屋の教科書に使用された小謡本もある。江戸後期には家元制度の強化にともない,特定の版元と家元による寡占体制が強まり,その経済的基盤となっていることは現代も変わらない。家元が関与した本では,1765年(明和2)の観世元章(もとあきら)が大改革を試みた〈明和改正謡本〉(五番綴。210曲),76年(安永5)の喜多健忘斎による〈安永版〉(150曲),99年(寛政11)に一橋家の後援で宝生大夫英勝が刊行した〈寛政版〉(210曲)などが著名。金剛流の公認本は1882年の〈山岸本〉(100曲)まで刊行されなかった。幕末までに刊行された謡本は約2000種を数えるが,その約8割は観世流本である。これらの本の譜は,特殊な例外を除くと,みな細かい符号が省かれており,師匠の蔵本で補う必要があったが,1908年丸岡桂が刊行した〈観世流改訂謡本〉が旧来の不備を一新し,見てすぐ謡える譜本という傾向になり,記譜法にも改良が加わって,解題,辞解,曲趣,扮装,型付などを添えるようになった。現行謡本では,流内の統一を企図した〈観世流大成版〉(205番),地拍子を印刷した〈宝生流参考謡本〉(180番),改良を重ねた〈喜多流新全曲謡本〉(170番)などがすぐれている。版権は,一部の例外を除き,各流の家元が保有している。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「謡本」の意味・わかりやすい解説

謡本
うたいぼん

能の台本に謡曲稽古(けいこ)用の譜をつけたもの。能として上演されるときの狂言方が担当する部分は省略されるのが普通であり、またワキ方の分担する部分も、シテ方の流儀の台本で統一されているので、実際の能の上演脚本とはいいがたい。15世紀ごろの世阿弥(ぜあみ)自筆本などは能本とよばれるが、台本のみ記されている場合も多い。謡本が刊行されたのは16世紀以後で、金春(こんぱる)流の車屋本(くるまやぼん)、観世流の光悦本などが最古とされる。江戸時代は素謡(すうたい)の流行に伴って、おそらく国文関係ではもっとも多量な出版物となった。謡曲の一節を集めた小謡本(こうたいぼん)などは寺子屋の教科書ともなるほど普及した。江戸後期、家元制度の整備によりその独占出版と化し、現代でもその経済的基盤となっている。現在、シテ方五流と梅若、ワキ方下掛宝生(しもがかりほうしょう)流、観世流の能楽書林本から11曲1冊、5曲1冊の体裁で刊行されている。辞解や謡い方の解説から、演出や扮装(ふんそう)、舞台スケッチなどを加え、上演台本、観能の便に供する性格も強くなっている。さらにリズムのとり方まで加えた高度なものも出るようになった。なお素人(しろうと)の稽古のための節付けの画一化、精密化が、アマチュアへの普及には役だつ一方、玄人(くろうと)の演奏を逆に規制する反作用も見逃せない。

[増田正造]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「謡本」の意味・わかりやすい解説

謡本
うたいぼん

謡の稽古用譜本。詞章に節づけしたもの。一般に半紙半折の和紙の一番綴本,五番綴本,ほかに横綴本や洋装本,小型懐中本などがある。現行のものは各流家元に版権がある。また世阿弥自筆本や古活字光悦本など,種々の古写,古版本がある。

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世界大百科事典(旧版)内の謡本の言及

【謡曲】より

…能の脚本である〈謡本(うたいぼん)〉を,主として文学作品としてとらえたときの名称。能を文学作品としてみる立場は,初の注釈書である《謡抄》(1595)にすでにみることができるが,〈謡曲〉の語は1772年(明和9)刊の《謡曲拾葉抄》が最も早い使用例と思われる。…

※「謡本」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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