講道館(読み)こうどうかん

精選版 日本国語大辞典 「講道館」の意味・読み・例文・類語

こうどう‐かん カウダウクヮン【講道館】

[一] 高松藩藩校。安永九年(一七八〇)藩主松平頼真の開設。明治四年(一八七一廃校
[二] 東京都文京区春日にある柔道研究・指導機関。また、その道場。明治一五年(一八八二)、嘉納治五郎が東京下谷の永昌寺創設した道場がその始まりで、数度の移転をへて昭和八年(一九三三)現在地に移る。柔道の総本山として世界的に知られる。〔東京二六新聞‐明治三九年(1906)一月一五日〕

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デジタル大辞泉 「講道館」の意味・読み・例文・類語

こうどう‐かん〔カウダウクワン〕【講道館】

明治15年(1882)に嘉納治五郎が創設した柔道の研究・指導機関。また、その道場。東京都文京区春日かすがにある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「講道館」の意味・わかりやすい解説

講道館
こうどうかん

柔道の総本山として、柔道の普及発展を図り、国民の心身鍛錬に資することを目的とする財団法人。嘉納治五郎(かのうじごろう)が1882年(明治15)に柔術を集大成して講道館柔道を創始し、これを研究し、指導するための道場として設けられた。講道館とは、柔道は単なる技術を学ぶだけでなく、道である、その道を講ずる館という意味で名づけられたものである。講道館は初め東京・下谷(したや)の永昌(えいしょう)寺にて12畳の道場で9名の門人から出発し、その後、南神保(みなみじんぼう)町、上二番町、富士見町、真砂(まさご)町、下富坂町、水道橋の各道場を経て、今日の春日(かすが)町道場へと発展し、約500畳の大道場と、いくつかの小道場を有する世界柔道の中心的存在となっている。

 1909年(明治42)個人経営を財団法人とし、それに基づいて運営されている。初代館長嘉納治五郎から4代目まで親族が館長を務めていた。2019年(令和1)の外国人を含む入門者数は1万8775人。その内訳は、男子1万4775人(内、外国人765人)、女子3956人(内、外国人228人)。外国人入門者は73か国・地域から集まっている。

 館長のもとに指導員組織があり、錬成部、成年部、女子部および大阪道場に各指導員がいる。別に設置された学校講道館は、柔道普通科、柔道特修科、柔道補習科、柔道研修課、柔道国際科に分かれている。

 講道館の年中行事は1884年(明治17)につくられ、現在は寒稽古(かんげいこ)(10日間)、鏡開(かがみびらき)式(新春第2日曜日)、月次(つきなみ)試合(1、6、10月を除く毎月)、紅白試合(6、10月)、全国高段者大会、全日本柔道選手権大会、暑中稽古(東京・大阪あわせて15日間)、夏季講習会(一部、二部、学校教員、女子、少年の各講習会)、学校講道館行事などがある。

[竹内善徳]


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改訂新版 世界大百科事典 「講道館」の意味・わかりやすい解説

講道館 (こうどうかん)

講道館柔道の研究教授とその普及振興をはかるための諸事業を行う教育機関およびその道場の名。嘉納治五郎が柔術を集大成して柔道を創始し,1882年5月東京の下谷北稲荷町の永昌寺に道場を開き,講道館と名付けた。単なる技術の練習だけでなく,あくまで道を重んじ,道を広めるという意味から〈道を講ずる館〉,すなわち講道館と命名したものである。当時,12畳の道場と9人の入門者から出発し,神田区南神保町,麴町区上二番町,九段坂上富士見町,本郷真砂町,小石川区下富坂町,文京区水道橋の各道場を経て,1958年,現在の文京区春日1丁目の講道館にまで発展,84年道場を新築し,約500畳の大道場のほかに,いくつかの小道場や図書館,研究室,宿泊所などを有する国際的な柔道センターとなった。入門者数約175万人,有段者数は150万人(うち女子約3万4000人,外国人2万3000人)を超えている。1909年個人経営から財団法人組織に改組,全世界に広まった柔道の総本山として存在している。講道館は,青少年育成のために各種講習会を開催し,柔道の普及発展に努める一方,海外へ柔道指導者を派遣し,海外での講道館柔道普及発展のための支援活動も行っている。
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百科事典マイペディア 「講道館」の意味・わかりやすい解説

講道館【こうどうかん】

講道館柔道の総本部。1882年嘉納治五郎柔道の発達・普及を図ることを目的として東京下谷の永昌寺内に道場を開いたのに始まり,1909年財団法人となる。はじめは12畳の道場と9人の入門者から出発したが,次第に入門者も増え,道場も各地を転々と移動しながら大きくなっていった。1984年道場を新築し,約500畳の大道場,研究・宿泊施設をもつ国際的な柔道センターとなった。現在地は東京都文京区春日1丁目。現館長は4代目で嘉納行光。
→関連項目三船久蔵

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「講道館」の意味・わかりやすい解説

講道館
こうどうかん

講道館柔道の総本部。東京都文京区春日1丁目にあり,柔道の研究・教育・普及を目的とする。学校講道館の経営,段級の審議・授与,指導者の養成・派遣,全日本柔道選手権大会などの開催・後援,国内の試合に適用される審判規定の制定・改正,柔道図書や機関誌の編集・発行,鏡開き寒稽古をはじめ各種行事の開催などを行なっている。 1882年嘉納治五郎が東京下谷北稲荷町の永昌寺に道場を設け,講道館と命名したことに始まる。 1909年財団法人。 1984年敷地内に地上8階,地下1階建ての講道館国際柔道センターが完成,近代的な大道場や研究施設,宿泊施設を完備する。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「講道館」の解説

講道館
こうどうかん

嘉納治五郎が創設した柔道の道場。1882年(明治15)東京府下谷区(現,台東区)の永昌寺内に開かれ,のち九段の品川弥二郎邸や本郷の陸軍施設を借用したが,93年小石川に移転し,翌年道場を新設して柔道界の中心的施設となった。1909年財団法人となり,嘉納治五郎没後も発展を続け,58年(昭和33)文京区春日に移転し今日に至っている。

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旺文社日本史事典 三訂版 「講道館」の解説

講道館
こうどうかん

①江戸時代,高松藩の藩校
②明治中期,嘉納治五郎が創始した柔道普及・修業の中心道場
1780年に創設。朱子学・兵学を講じた。
1882年,東京下谷区(台東区)北稲荷町永昌寺に開き,のち文京区春日の現在地に移り,講道館柔道の中心として発展した。

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世界大百科事典(旧版)内の講道館の言及

【柔道】より

…古来の柔術に改良を加えて創始された武道。嘉納治五郎は体育,修心,勝負を目的とする教育的観点から講道館柔道を創始した。現在は世界的に普及するスポーツの一つとなっている。…

※「講道館」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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