誓度寺跡(読み)せいどじあと

日本歴史地名大系 「誓度寺跡」の解説

誓度寺跡
せいどじあと

[現在地名]粉河町猪垣

現在は廃寺。「続風土記」に禅宗臨済派由良興国ゆらこうこく(現和歌山県由良町)末として「村中にあり、今堂舎皆廃す、其地方一町許」とある。「紀伊国名所図会」は由来を「むかし粉河寺に十学生とて、仏経の深義を研究する僧十人ありしが、寺中に学問所を建て、誓度院と号けてともに会集せり、其後粉河寺大門建立供養の時、由良の法灯国師を導師として当所に請じけるに、釈門興隆の功多かりしかば、報謝の為にかの十学生より当院を国師に附与せしより、遂に禅家の寺となれり」と述べている。寺地は初め粉河こかわ(現粉河町)寺内本堂の北東方にあり、永仁五年(一二九七)九月五日の粉河寺学頭権律師仙実下知状(興国寺蔵誓度寺文書)にも「当寺内誓度院者、十学生相伝領掌之地也、而今由良方丈有光儀、被興行当院之間、寺家感喜不、而令安置本証文於当院已畢、宜為法度処不可退転之状如件」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android