言語純化(読み)げんごじゅんか

大学事典 「言語純化」の解説

言語純化
げんごじゅんか

言語純化とは言語改革の手段のひとつで,国語の明瞭な輪郭を保つために,それに生じた変化を否定したり,混入した外国語を排除したりして,過去の姿を取り戻そうとする試みをいう。欧米での大学と言語純化との連関では,16~17世紀と19世紀が特記に値する。前者では,宗教改革宗教戦争がキリスト教世界の崩壊の危機をもたらし,その危機の克服を知性面で試みた科学革命が生じた。ラテン語を含む不完全で不純な言語こそ宗教対立の一大要因をなすとの認識の下,対立の解消に不可欠な純粋で完全な言語(ヘブライ語,科学革命では数学)が注目された時代である。後者(19世紀)は,近代的な民族国家が欧米に確立し,ベルリン大学(現,ベルリン・フンボルト大学(ドイツ))が自立的な学術研究体制の下,国際社会の一員にふさわしい独自の文化と言語を備えた国家の体制を支える近代大学として,世界に模範を示した時代である。

[16~17世紀]

16世紀には,ジョアシャン・デュベレー,J.(Joachim du Bellay,1522頃-1560)の『フランス語の擁護と賞讃』(1549年)など,言語の優劣に関する議論が起こり,またこの頃登場した言語盛衰論の中には,アドリアーノ・カステッレシ(Adriano Castellesi,1460頃-1521頃)の『ラテン語について』(1515年)のように,言語の変遷が腐敗の歴史だと説くものがあった。雑多な人々が交流する都会の言語に比して,田舎の言葉が古風で純粋だとする考え方は,すでに16世紀イタリアのボルギーニ(Vincenzo Borghini,1515-80),スヴェーリエ(スウェーデン)のシャーンイェルム(Georg Stiernhielm,1598-1672)などにあった。

 16世紀イタリアのベンボ,P.(Pietro Bembo,1470-1547)は,理想的文体を「純粋で,簡潔で,明快」と定義し,この考え方を体現する組織として言語アカデミー「アカデミア・デラ・クルスカ」が設立された(1538年)コペルニクスの『天体軌道の回転について』(1543年)の5年前である。「クルスカ」とは精麦の際に取り去る「籾殻」のことであり,純化の比喩をそのまま組織名にしたのである。ベンボの伝統を引き継いだのが,17世紀フランスのマレルブ,F.de(François de Malherbe,1555-1628)であり,「言語から汚物を一掃する」目的でアカデミー・フランセーズが設立された(1635年)。「クルスカ」をモデルにドイツ語純化の組織として1617年に結成されたのが,実益協会(ドイツ)(Fruchtbringende Gesellschaft)である(1668年解散,この経験が1885年設立の全ドイツ言語協会Allgemeiner Deutscher Sprachvereinにつながる)。スヴェーリエ語の純粋性を高めるために,1786年にはスヴェーリエ・アカデミーが国王グスタヴ3世によって設立された。

 この間,ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)デカルト(1596-1650),ニュートン(1642-1727)は,宗教上の立場の如何にかかわらず普遍的に妥当する数学的言語を用いて,物理世界の運動の法則を解明し,科学革命を遂行した。一方,人文学者ヨハネス・ロイヒリン(1455-1522)やその弟子・孫息子フィリップ・メランヒトン(1497-1560)は,旧約聖書の言語であり,楽園アダムの言語として純粋で完全と目されたヘブライ語を,ドイツなどヨーロッパの大学に導入した。

[19世紀]

民族国家の確立する19世紀においては,民族の支柱となる言語の標準化が行われ,その中で隣接する外国語の排除,すなわち純化運動が進んだのである。たとえばコピタル,J.(Jernej Kopitar,1780-1844)が中心となって,スロヴェニア語からロシア語的要素の排除が試みられた。セルヴィア語のヴィダコヴィッチ,M.(Milovan Vidaković,1780-1842)はトルコ語,マジャール(ハンガリー)語,ドイツ語由来の単語の除去を進めた。1822年のギリシア独立に際しては,古典学者のコライス,A.(Adamantios Korais,1748-1833)が中心となって,外国語とりわけトルコ語を排除して,純粋な言語すなわち「純正語」(古典ギリシア語,カタレヴサ)が創生され,1830年にこれが公用語となった。現代では1994年のトゥーボン法による,フランス語から英語的要素を排除する国家的取組みが注目される。

 近代大学の嚆矢とされるベルリン大学は1810年に開学したが,その創立者にあたるヴィルヘルム・フォン・フンボルト,K.W.von(1767-1835)やヨハン・ゴットリープ・フィヒテ,J.G.(1762-1814)は,すでに純化されつつあったゲルマン的ドイツ語を大学において民族主義と結合させ,グリム兄弟(ヤーコブ:1785-1863,ヴィルヘルム:1786-1859)等によるそのさらなる学問的な純化への道を準備した。ドイツの大学に固有な教養(ビルドゥング)は,純化されたドイツ語を用いての人格的交流と協力に深く根ざすといわれる。ドイツの大学と類似する動きは19世紀の後半から,ロマンス諸語,英語,スラヴ諸語等についてヨーロッパ諸国の大学に広く普及してゆく。
著者: 原 聖

参考文献: ピーター・バーク著,原聖訳『近世ヨーロッパの言語と社会』岩波書店,2009.

参考文献: P. Harrison, The Fall of Man and the Foundations of Science, Cambridge University Press, 2007.

参考文献: George Thomas, Linguistic Purism, London, Longman, 1991.

参考文献: ウンベルト・エーコ著,上村忠男・廣石正和訳『完全言語の探求』凡社ライブラリー,2011.

出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報

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