觜崎村(読み)はしさきむら

日本歴史地名大系 「觜崎村」の解説

觜崎村
はしさきむら

[現在地名]新宮町觜崎

下野田しものだ村の東、揖保川右岸に位置する。揖東いつとう郡に属した。当地は揖保川と美作道が交接する要衝の地で、中世には越部下こしべしも庄の庄域にあったと推測される。元弘三年(一三三三)の「書写山行幸記」に五月「二十七日、主上自千本宿御立、於箸崎宿暫被休仙駕」とあり、伯耆国船上せんじよう(現鳥取県赤碕町)から京都へ凱旋する後醍醐天皇は、その途中書写山円教えんぎよう(現姫路市)参詣のため登山直前に当地で休憩している。「峯相記」には「当時姫路・觜崎辺ニ、季念仏トテ、称名ハカリ形ノ如ク有」と記され、貞和(一三四五―五〇)の頃觜崎の地に季念仏衆が組織されていた。また当地にある文和三年(一三五四)一〇月二四日銘の觜崎磨崖仏(五体、県指定史跡)の造立に季念仏衆の関与が想定される。嘉吉の乱では城山きのやま城を攻めた但馬の山名軍は、まず同城向いの「ハシサキ河」(揖保川)を隔てた西福寺の上に陣を取っている(嘉吉記)。西福寺は鵤庄引付(斑鳩寺文書)には「箸崎最福寺」と記され、永正一七年(一五二〇)三月浦上村宗と対立していた赤松義村が、村宗側の中村氏の立籠る美作国岩屋いわや(現岡山県久米町)攻撃のため同寺まで出陣しており、西福寺(最福寺)は当地にあった。文禄四年(一五九五)五月の揖保川井堰絵図(岩見井組文書)には「はしざき」とあり、大川(揖保川)から南の佐野さのに至る「はしさきの井」がきた村付近で分岐し、当地まで延びている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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