観瀾亭(読み)かんらんてい

日本歴史地名大系 「観瀾亭」の解説

観瀾亭
かんらんてい

[現在地名]松島町松島

松島海岸月見つきみ(旧名亀ヶ崎)にある。県指定文化財。伊達政宗の遊息所として建てられ、代々の藩主仮屋であった。正保二年(一六四五)類焼(松島諸勝記)、ただし焼けたのは慶安四年(一六五一)ともいう(塩松勝譜)。今の建物は豊臣秀吉の山城伏見城にあった納涼の亭を政宗が文禄年中(一五九二―九六)(「松島勝譜」では文禄二年)にもらい、江戸の藩邸に移築していたものを、正保の火事後二代藩主忠宗が船でこれを運び、再度移築した。五代藩主吉村がこれを観瀾亭と名付けた(松島諸勝記)。明治維新前までは司亭吏を置いて一般人の遊覧を禁じていた(松島勝譜)。単層で屋根は四注造木羽葺の起り屋根。梁間五間、桁行八・五間(一間は六尺五寸)で、京間一八畳の二間からなる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典・日本の観光資源 「観瀾亭」の解説

観瀾亭

(宮城県宮城郡松島町)
ふるさとみやぎ文化百選 建造物とまちなみ編」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の観瀾亭の言及

【松島】より

…宮戸島),富山(117m),扇谷,多聞(たもん)山(50m)は松島四大観(壮観,麗観,幽観,偉観)と称される。 海岸付近には史跡が多く,1609年(慶長14)に再建され,国宝・重要文化財の多い伊達家の菩提寺瑞巌(ずいがん)寺,藩主の観月の場となり〈月見の御殿〉と呼ばれた観瀾亭,坂上田村麻呂の創建と伝え,後に伊達政宗が再建した五大堂,円通院霊屋,陽徳院霊屋があり,渡月橋を渡った雄島(千松島)には奥州三古碑の一つといわれる頼賢(らいけん)碑があり,岩壁には卒塔婆の形を彫った跡が多い。松島湾の支湾塩釜湾の奥には奥州一宮の塩竈(しおがま)神社が鎮座する。…

※「観瀾亭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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