能楽師,観世流シテ方。東京の生れ。観世宗家の分家,7世観世銕之丞(てつのじよう)雅雪(1898-1988)の長男。1944年清寿(きよひさ)と改名,49年本名の寿夫に戻る。祖父観世華雪に師事。早くから天分を認められ,第2次大戦後能楽界の旗手的存在として活躍。天賦の技量と努力,研究熱心によって,演出意図の透徹した能を演じ,たえず古典の正統的な継承と現代への再生を志向した。世阿弥伝書を中心とする能楽研究や新しい演劇運動にも参加した。〈能楽ルネッサンスの会〉主催の世阿弥伝書研究会やグループ〈華の会〉〈冥の会〉における活動はその表れである。62年フランス政府招聘日仏演劇交換第1回留学生として滞仏,ジャン・ルイ・バローらとの交流は終生続いた。汎演劇的視野で能を考え,能楽界を超えた幅広いファン層を獲得したが,円熟期を迎える前に急逝。没後《観世寿夫著作集》全4巻が編まれた。弟に観世栄夫(1927-2007),8世観世銕之丞(1931-2000)がいる。
→観世流
執筆者:羽田 昶
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
能のシテ方。観世流宗家の分家、7世観世銕之丞(てつのじょう)(雅雪)の長男。前名清寿(きよひさ)。栄夫(ひでお)、静夫(8世銕之丞)はその弟。天分と精進と理論の兼ね備わった名手で、能界に大きな影響を与えた。華の会などを結び、傑出した演技で古典の能にも新風を吹き込むほか、新作能『智恵子抄(ちえこしょう)』『鷹姫(たかひめ)』、前衛音楽と能の技法の融合『水の曲』、冥(めい)の会を主宰しての『オイディプース』『ゴドーを待ちながら』『名人伝』や、『トロイアの女』など、新しい演劇運動にも大きな足跡を残した。ジャン・ルイ・バローらとも演劇の国際交流を果たした。著書に『心より心に伝ふる花』ほか。
[増田正造]
『『観世寿夫著作集』全4巻(1980~81・平凡社)』▽『渡辺守章編『幽玄――観世寿夫の世界』(1980・リブロポート)』
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