覚如(読み)かくにょ

精選版 日本国語大辞典 「覚如」の意味・読み・例文・類語

かくにょ【覚如】

鎌倉後期の真宗の僧。本願寺第三世。親鸞の曾孫覚恵長男。諱(いみな)は宗昭。大谷廟堂留守職となり、廟堂を本願寺と改称法然、親鸞、如信と相承する三代伝持の血脈を説いて真宗教団の統一をはかった。著「報恩講式」「口伝鈔」「親鸞伝絵」など。文永七~正平六年(一二七〇‐一三五一

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デジタル大辞泉 「覚如」の意味・読み・例文・類語

かくにょ【覚如】

[1271~1351]鎌倉後期の浄土真宗の僧。親鸞しんらん曽孫。大谷廟堂を本願寺と称し、親鸞の孫如信から相続した三代伝持の血脈を説いて教団統一を図った。著「親鸞伝絵」「報恩講式」「口伝鈔」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「覚如」の意味・わかりやすい解説

覚如
かくにょ
(1270―1351)

鎌倉後期の浄土真宗の僧。本願寺第3世。諱(いみな)は宗昭(そうしょう)。父は親鸞(しんらん)の孫、覚恵(かくえ)(1239―1307)。若くして父とともに親鸞の遺跡を3年間巡拝し、帰洛(きらく)後、東山大谷に住し、1295年(永仁3)には『親鸞聖人絵伝』をつくり、その6年後には『拾遺古徳伝(しゅういことくでん)』を書いて遺徳を顕彰した。しかし大谷の親鸞祖廟(そびょう)の相続について唯善(ゆいぜん)(1266―1317。覚恵の異父弟)との間に紛争(いわゆる唯善事件)が起こり、覚恵・覚如は大谷の廟堂を追われた。覚如は、父の没後、紛争が解決し安堵(あんど)したが、ただちに大谷帰住を受け入れられず、留守職(るすしき)を認められるために門弟あて「懇望状(こんもうじょう)」を書くという苦い経験を味わわされた。1310年(延慶3)留守職就任を認められると、彼は東国、北陸などに布教伝道を行い、また当時おこり始めた異端邪説を排し、宗義を宣揚するため『口伝鈔(くでんしょう)』(1331)、『改邪鈔(かいじゃしょう)』(1335)など多数の著述をものにしている。とくに注目されることは、法然(ほうねん)(源空)―親鸞―如信(にょしん)(1235―1300。親鸞の孫)と相続した三代伝持の血脈(けちみゃく)と、留守職という名の血統相継とを強調して、「本願寺」の傘下に門徒全体を糾合する統率者の地位を不動のものにしようとしたことである。本願寺教団の基盤は覚如によって確立したといえる。

[石田瑞麿 2017年6月20日]

『重松明久著『覚如』(1964/新装版・1987・吉川弘文館)』

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改訂新版 世界大百科事典 「覚如」の意味・わかりやすい解説

覚如 (かくにょ)
生没年:1270-1351(文永7-正平6・観応2)

本願寺第3世。童名を光仙,諱(いみな)を宗昭と称し,別号を毫摂という。父は親鸞の末娘覚信尼の子覚恵。5歳の秋より慈信房澄海に内外の典籍を学び,延暦寺宗澄,園城寺南滝院浄珍,興福寺一乗院信昭らにも師事した。1286年(弘安9)一乗院覚昭のもとで薙度受戒した。広橋中納言兼仲の猶子となり,勘解由小路法印と称した。その後,行寛につき法相を学んだが,87年,親鸞の孫如信(本願寺2世)に面謁,さらに翌年親鸞の高弟唯円に法儀上の疑義を問いただした。90年(正応3)より92年にかけて,父覚恵と関東の親鸞の遺跡を巡り,以後父とともに京都大谷の親鸞廟堂に居住し,父を補佐した。1301年(正安3)ころより,父覚恵は異父弟の唯善と,大谷廟堂の留守職をめぐって争った。07年(徳治2)覚恵が没してから,覚如は唯善との抗争の矢面に立ち,09年(延慶2)青蓮院の裁許をうけ,唯善の野望を退けた。大谷廟堂の留守職に就職すると,廟堂の寺院化を計画,〈本願寺〉の寺号を名のるようになった。親鸞-如信-覚如と続く血脈の3代伝持を主張し,自己の立場を正当化した。この間関東や近江,越前に積極的に巡錫し,本願寺教団の基礎をつくった。生涯に3男1女を儲けた。長子存覚は優れた教学者であったが,覚如は2度にわたり存覚を義絶し,本願寺4世は次男従覚の子善如にゆずった。著作に《口伝鈔》《執持鈔》《改邪鈔》《親鸞伝絵》《報恩講式》等がある。覚如の弟子乗専は《最須敬重絵詞》を著し,覚如一生の行状を叙述している。
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百科事典マイペディア 「覚如」の意味・わかりやすい解説

覚如【かくにょ】

本願寺第3世。諱は宗昭(そうしょう)で,別号を毫摂(ごうしょう)という。父は親鸞の末娘覚信尼(かくしんに)の子覚恵(かくえ)。1286年一条院覚昭のもとで得度した。1287年親鸞の孫如信(にょしん)(本願寺第2世)に面謁,翌年には親鸞の高弟唯円(ゆいえん)に法儀上の疑義を問いただしている。1290年から1292年にかけて父覚恵と関東の親鸞の遺跡をめぐり,その後父とともに京都大谷の親鸞廟堂(御影堂)に住した。1309年唯善(ゆいぜん)の野望を退け,廟堂の留守職(るすしき)に就任すると,廟堂の寺院化を進め,本願寺を名乗るようになった。親鸞−如信−覚如と続く血脈の3代伝持を主張。この間,各地に巡錫し,本願寺教団の基礎を固めた。長子存覚(ぞんかく)は優れた教学者であったが,覚如は2度にわたり存覚を義絶,本願寺第4世は次男従覚(じゅうかく)の子善如(ぜんにょ)とした。著作に《口伝鈔(くでんしょう)》《執持鈔(しゅうじしょう)》《改邪鈔(がいじゃしょう)》《善信上人絵》などがある。覚如の弟子乗専(じょうせん)が著し,覚如の行状が記された《最須敬重絵詞(さいしゅきょうじゅうえことば)》がある。
→関連項目浄賀浄土真宗

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「覚如」の解説

覚如
かくにょ

1270.12.28~1351.1.19

鎌倉末~南北朝期の浄土真宗の僧。京都生れ。父は覚恵(かくえ),母は周防権守中原某の女。親鸞の曾孫。幼名は光仙(こうせん),諱は宗昭。毫摂(ごうしょう)と号する。1286年(弘安9)出家し,翌年親鸞の孫如信(にょしん)から他力法門を伝授される。「親鸞聖人伝絵」「拾遺古徳伝」「口伝鈔(くでんしょう)」「改邪鈔」など多くの著述により,法然の正統な後継者としての親鸞と浄土真宗内における本願寺教団の優位性を主張した。1310年(延慶3)本願寺御影堂留守職3代を安堵された。伝記に「慕帰絵詞(ぼきえことば)」がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「覚如」の解説

覚如 かくにょ

1271*-1351 鎌倉-南北朝時代の僧。
文永7年12月28日生まれ。親鸞(しんらん)の曾孫。覚恵(かくえ)の長男。浄土真宗本願寺3世。善鸞の子如信にまなぶ。延慶(えんきょう)3年親鸞の墓所である大谷廟堂の留守職に就任,本願寺と改称。「法然-親鸞-如信」三代伝持の正統性を主張し,本願寺教団の基礎をつくった。観応(かんのう)2=正平(しょうへい)6年1月19日死去。82歳。京都出身。法名は宗昭。別号に毫摂。著作に「口伝鈔」「親鸞伝絵」など。

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旺文社日本史事典 三訂版 「覚如」の解説

覚如
かくにょ

1270〜1351
鎌倉末期の浄土真宗の僧
毫摂 (ごうせつ) と号す。覚恵の子。親鸞の曽孫。本願寺3代法主となる。大谷廟堂を中心とする真宗教団の統一に努力した。主著に『本願寺聖人親鸞伝絵』『報恩講式』など。

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367日誕生日大事典 「覚如」の解説

覚如 (かくにょ)

生年月日:1270年12月28日
鎌倉時代後期;南北朝時代の真宗の僧
1351年没

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世界大百科事典(旧版)内の覚如の言及

【大谷本廟】より

…その後,尼の次子唯善が留守職の権を奪おうとして堂を破壊する事件があった。第3世留守職覚如は廟堂を寺院化して本願寺と称した。堂は1336年(延元1∥建武3)の兵火に焼け,1465年(寛正6)比叡衆徒の破却に遭った。…

【親鸞】より

…親鸞帰洛後の東国では,数々の念仏者の集団が生まれ,教団への道を進むようになったが,唯円の著とされる《歎異抄(たんにしよう)》は,そうしたなかで親鸞の信仰の根本を伝えようとしたものであった。親鸞の没後,京都では親鸞の曾孫覚如が本願寺を中心に真宗教団の統一をはかり,1294年(永仁2)に《報恩講式》,翌年に《本願寺聖人親鸞伝絵》を著した。この最初の親鸞伝は,貴族的な出自を強調し,如来の化身とするなど,教団の統一をめざす覚如の,祖師神格化の意図が強くあらわれているが,後世教団で語られる親鸞像の基礎となった。…

【存覚】より

…諱(いみな)は光玄。父は本願寺第3世覚如。東大寺で薙髪し,興親と称す。…

【慕帰絵詞】より

…親鸞の後継者で本願寺発展の基礎を開いた第3世覚如(1270‐1351)の伝記を描いた絵巻。西本願寺所蔵。…

【本願寺】より

…これを大谷廟堂と称し,覚信尼および彼女の子孫が留守職(るすしき)となりその管理に当たった。2代留守職は覚信尼の子覚恵,3代は覚恵の子覚如が継承した。覚如は廟堂を寺院化しようと図り,1312年(正和1)廟堂に専修寺の額を掲げたが,比叡山僧徒から専修念仏禁止いらい使用してはならない専修の語を寺号にすることについて抗議をうけ,寺額を撤去した。…

※「覚如」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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