西蓮寺(読み)サイレンジ

デジタル大辞泉 「西蓮寺」の意味・読み・例文・類語

さいれん‐じ【西蓮寺】

茨城県行方なめがた市にある天台宗の寺。山号は尸羅度しらと山。開創は延暦元年(782)、開基は桓武天皇と伝える。開山は、最澄の弟子最仙。

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日本歴史地名大系 「西蓮寺」の解説

西蓮寺
さいれんじ

[現在地名]玉造町西蓮寺

天台宗、尸羅度山と号し、本尊は薬師如来。延暦元年(七八二)最澄の高弟最仙が桓武天皇の勅願により創建といわれ、「新編常陸国誌」に「朱印地三十石、欣求記行云、尸羅度台上山西蓮寺薬師開山ハ、最仙上人御作、釈迦弥陀湛慶作、常陸考云、延暦元年依桓武帝勅願伝教大師高足最仙上人開山也、元亨釈書云、釈最仙嘗任常州講師戒行備足、四衆帰崇、性抱利済寺院」と記される。寺伝によれば、寛治年中(一〇八七―九四)唐ヶ崎長者が常行会を比叡山より移して行い、弘安一〇年(一二八七)慶弁が元寇の役の戦勝記念に頭部が錫杖形で木芯青銅製の相輪(国指定重要文化財)を建立。

西蓮寺
さいれんじ

[現在地名]上野市長田

長田ながたの垣内にあり、医王山無量寿院と号し、天台真盛宗。本堂の額は京都大徳寺高桐院の清巌宗渭筆。「伊水温故」に往昔の本尊は薬師仏で、これにより医王山と称したとある。真盛が当寺を布教の道場とし、現寺名は池の白蓮にちなんで改めたといわれるが前寺名は不詳。現本尊阿弥陀如来は「往昔仏性寺ノ本尊也、仏性寺天正兵乱ニ衰微シテ草堂ニ座シケルヲ、当寺ノ住侶真雅上人、承応二年ニ本堂ニ移ス」(伊水温故)とある。真盛は延徳四年(一四九二)当寺で、伊賀で初めて正月一五日より四八日間の別時念仏を執行、明応四年(一四九五)も正月一五日より別時念仏を執行し、終りに近い二月晦日に没した(大乗院寺社雑事記)

西蓮寺
さいれんじ

[現在地名]下京区西七条中野町

七条通の南に位置する。松尾山と号し、時宗。本尊地蔵菩薩。江戸時代の地誌類にはみえないが、金光こんこう(市屋道場、現下京区)の末寺であった。金光寺より差出した西蓮寺の由緒書(西蓮寺文書)によれば、空也の開基と伝える。当寺の僧が松尾まつお大社御旅所(現下京区)の社僧を務め、御旅所領一四五石のうち三石五斗を知行していた。

西蓮寺
さいれんじ

[現在地名]羽須美村阿須那

出羽いずわ川左岸の与次郎よじろう(四九八・四メートル)の西、細貝ほそがい(江川支流)の源流細貝峠にある。法僧可意山と号し、浄土真宗本願寺派。本尊は阿弥陀如来。天正五年(一五七七)三月僧泉秀の開基と伝える。初め真言宗観世音院西蓮寺と号し、のち改宗したという。毛利氏重臣の琵琶甲びわこう城主口羽下野守通良は本願寺顕如に帰依、三男元通を宗祖の直弟子として法名泉秀を賜り、西蓮寺の開祖としたと伝える(西蓮寺記)

西蓮寺
さいれんじ

[現在地名]佐世保市瀬戸越町

まえ岳の東麓にある。安養山と号し、曹洞宗。本尊は阿弥陀如来。瀬戸越の眼鏡せとごえのめがね岩の霊地にかかわる西円さいえん寺を前身とすると伝え、延暦二三年(八〇四)空海が唐に渡海する途次に当地をめぐり眼鏡岩に千手観音像と梵字を刻んだという所伝がある。あるいは雲山首座の開基で、大野おおの境木さかいぎに創建され、三代を経た慶長一九年(一六一四)に大野村原分岡はるぶんおか折口おりくちに移転したという由緒もある(寺院明細帳)

西蓮寺
さいれんじ

[現在地名]吉野町大字山口

累徳山円成院と号し、浄土宗。本尊阿弥陀如来。竜門りゆうもん(現吉野町)の子院西蓮華台さいれんげだい院として室町末期まで存続した。その後大坂の陣に敗れて現吉野町喜佐谷きさだにに潜居した長宗我部文親が浄土門に入って出家、名を鉄牛と改め当寺を創建したと伝える。本尊阿弥陀如来坐像は像高二・六メートルの丈六像で、俗に竜門大仏という。完全な内刳が施され、胎内一面に浄土三部経を書写。銘に慶安年間(一六四八―五二)に二世の還誉が現奈良県大淀町馬佐ばさ安佐谷あさだににあった寺から移し、寛文一一年(一六七一)五月五日修理とある。

西蓮寺
さいれんじ

[現在地名]羽合町橋津

橋津はしづの東方、集落のほぼ中央に位置する。台方山と号し、浄土宗。本尊阿弥陀如来。西蓮寺略縁起(寺蔵文書)によれば、春道(覚蓮社本誉)の開山で、天正一二年(一五八四)焼亡、慶長一八年(一六一三)赤池あかいけの戸崎家によって再建されたと伝える。寛延三年(一七五〇)宇野うの村根滝で釣鐘の鋳直しが行われた(在方諸事控)

西蓮寺
さいれんじ

[現在地名]安城市東端町 寺下

天慶院西光明山と号し、真宗高田派。本尊阿弥陀如来。天慶二年(九三九)俊明が一宇を草創し、従者の寂仙を粟田口青蓮あわたぐちしようれん(現京都市)で得度を受けさせて僧とし、坊舎の守をさせたのが始まりという。初め天台宗であったが、七世寂住に至り、正応元年(一二八八)真宗高田派に転じ専修せんじゆ(現三重県津市)四世専空より十祖画像の下賜を受ける。

西蓮寺
さいれんじ

[現在地名]大島町大字東屋代 神領

浄土宗。親縁山と号し、本尊阿弥陀如来。

「注進案」によれば、もとは禅宗寺院で中善ちゆうぜん寺と号した。寛永二年(一六二五)蓮誉松廓が、屋代村字石井小田いしいおだにあった浄土宗法王山浄屋じようや寺と兼住していた折、安芸厳島いつくしまの光明院四世円誉岩宗が来訪、師弟の契を結び、浄土宗に改宗、寺号も西蓮寺と改めた。

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デジタル大辞泉プラス 「西蓮寺」の解説

西蓮(さいれん)寺

三重県伊賀市にある寺院。医王山無量寿院と号す。天台真盛宗別格本山。国指定の重要文化財、絹本著色藤堂高虎像を所蔵。

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世界大百科事典(旧版)内の西蓮寺の言及

【玉造[町]】より

…鹿島臨海工業地域の後背地として工業団地が造られている。5世紀末の前方後円墳三昧塚(さんまいづか)古墳や中世の玉造城跡,芦沢館跡などがあり,天台宗の名刹(めいさつ)西蓮寺の仁王門および相輪橖(そうりんとう)は重要文化財に指定されている。対岸の霞ヶ浦町との間は有料の霞ヶ浦大橋で結ばれ,鹿島鉄道線が通じる。…

※「西蓮寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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