西漸運動(読み)セイゼンウンドウ(英語表記)westward movement

デジタル大辞泉 「西漸運動」の意味・読み・例文・類語

せいぜん‐うんどう【西漸運動】

米国の歴史上、東部から太平洋に及ぶ西方地域に向かって人々が移住した動きをいう。植民地時代から、19世紀末まで続いた。

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精選版 日本国語大辞典 「西漸運動」の意味・読み・例文・類語

せいぜん‐うんどう【西漸運動】

〘名〙 米国で、植民地時代から一九世紀末までの、東部から太平洋に及ぶ西方地域へと人々が移住した動き。

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改訂新版 世界大百科事典 「西漸運動」の意味・わかりやすい解説

西漸運動 (せいぜんうんどう)
westward movement

アメリカ史で人口が絶えず東から西へ移動していった現象をいう。アメリカ人をして西部へ向かわせた動機は,多くの場合,生活の向上にあったといってよい。資源に恵まれ人口が少なかった西部には,経済的・社会的成功を約束する機会が豊富に存在したのである。西漸運動は,17世紀初め,北アメリカ大西洋岸沿いにイギリス植民地が建設された当初から開始された。初めのうちはゆっくりと進み,白人定着地の外側に当たるフロンティアアパラチア山脈を越えるまでに,植民地時代のほぼ全期間,約150年を要した。独立達成後,13州の西方の領土は中央政府が管理する公有地となり,土地条令(1785)で区画と民間への払下げの方法が,次いで北西部条令(1787)で新州設立の原則がそれぞれ定められて,西漸運動のための基本的な制度的枠組みが整った。1812年戦争(第2次英米戦争)中,アメリカ軍がインディアン連合軍の抵抗を打ち破ったあと,オハイオ川流域への本格的な〈大移住〉が始まり,30年には移住者の最前線はミシシッピ川を越えている。この時代の移住にはオハイオ川を中心とする河川と運河による水上交通が大きく貢献しているが,そのほか国道も建設され,また少し遅れて鉄道の敷設も始まり,移住民に足を提供した。アメリカ人の西進はインディアンの排除を必然的に伴っていた。そして軍隊のための砦は町へと発達し,周辺地の開拓のための重要な基地となった。西漸運動のエネルギーの前には,国境や政府の取決めなどほとんどないに等しかった。貪欲に成功の機会と処女地を求めてなされた民衆レベルの膨張は,40年代のテキサスオレゴンカリフォルニアの獲得の例にみられるように,のちに国家が領土を拡張するのに都合のよい既成事実をつくったのであった。

 ミシシッピ川の西方からロッキー山脈に至る大平原は雨が少なく白人の定住には不向きと考えられていたので,移住民は40年ころからそこを通り越し,太平洋沿岸に定住地を求めるようになった。彼らが幌馬車で4ヵ月もかけてたどったルートはオレゴン街道またはカリフォルニア街道と呼ばれた。とくに48年に始まるゴールドラッシュ西海岸におおぜいの人を引き寄せ,そこをフロンティアから一挙に一大定着地へと押し上げた。その後シエラ・ネバダとロッキーの山岳地帯に金・銀鉱山の発見が続き,飛び飛びにではあるが,フロンティアは太平洋岸から東へ向けて進み始めた。最後の未定着地大平原へ農民の進出が始まったのは70年代に入ってからである。それには平原インディアンの制圧,鉄道の建設,農業技術の進歩が必要であった。定着はほぼ20年で完了し,90年,国勢調査局は〈フロンティア線の消滅〉を発表した。しかしアメリカ人の西漸運動はそこで止まったわけではない。第2次世界大戦から今日に至る西海岸と南西部一帯の著しい都市化の進行にみられるように,その後もずっと続いているのである。
公有地政策 →マニフェスト・デスティニー
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「西漸運動」の意味・わかりやすい解説

西漸運動
せいぜんうんどう
Westward Movement

アメリカの東海岸から西方の太平洋岸までの,西部未開拓地への定住地の拡大と人口移動をいう。初め東海岸十三植民地から始ったアメリカは,その領土をイギリスからの独立によってミシシッピ川まで,また 1803年のルイジアナ購入によってロッキー山脈まで,さらに 45年のテキサス併合,46年のオレゴン併合,48年のアメリカ=メキシコ戦争の結果によるカリフォルニア,ニューメキシコなどの獲得により広げていき,大西洋より太平洋に達したので,その西漸運動は北アメリカ全体をおおう大規模なものになった。西漸は一般に,毛皮を求める猟師や毛皮商人,土地投機師,牧畜業者,農民という順序で行われ,最後に町や工場が出現していった。アメリカの国勢調査では 2.6km2 (1平方マイル) につき人口2人以下を未開拓地とし,この未開拓地と 2.6km2あたり2人以上の人口を有する既住地域との境界線をフロンティアとするが,このフロンティアは 1790年にはアパラチア山脈を越え,1830年にはミシシッピ川に達し,そして 19世紀なかばにはゴールド・ラッシュなどのため一挙にロッキー山脈を越える地域に進出した。 90年の国勢調査報告書はフロンティアの消滅を告げた。広大な西部への間断ない人口移動は,豊かな農民層の増加,東部工業都市における恒常的な労働力不足,国内市場と原料供給地の形成をもたらしたが,自然を相手とするフロンティアでの生活が,独立自営相互扶助などを中心とするアメリカ民主主義の誕生に貢献したといわれている。しかし,西漸運動そのものが先住民族インディアンの追放,殺害と彼らからの土地奪取の過程であったことは見逃しえない事実である。そこから暴力による事態の解決という,フロンティア生活の一面が生じた。 (→マニフェスト・デスティニー )  

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「西漸運動」の意味・わかりやすい解説

西漸運動
せいぜんうんどう
Westward Movement

アメリカ合衆国の歴史を通じ、人口が絶えず東から西へ移動した現象をいう。世界の歴史をみても、アメリカの西漸運動ほど、長期間にわたり、間断なく、しかも大量に人口が移動した例はほかに見当たらない。アメリカ人をそのように西部へ引き寄せた誘因は、ひと口でいうならば、東部よりも西部のほうが土地や資源に恵まれ、人口密度が低く、よりよい生活と経済的な向上を約束する機会が豊富にあったからということに尽きるであろう。

 西漸運動は、17世紀の初頭、北アメリカ大陸の大西洋岸にイギリスの植民地が建設されて、しばらくたつと早くも始まっている。独立革命が勃発(ぼっぱつ)する18世紀後半には、アメリカ人の定着地の最前線、すなわちフロンティアは、アパラチア山脈を越え、1830年ごろにはミシシッピ川を渡り、19世紀なかばには大平原(グレート・プレーンズ)の入口に到達した。その後、オレゴンやカリフォルニアなど太平洋岸にひと足先に定着地が形成されるが、最後の未開拓地大平原も、1870年代以降急速に農民の入植が進んで、90年にはいわゆる「フロンティアの消滅」を迎えるのである。しかし、西漸運動はそこで止まったわけではなく、現代に至るまで続いている。とくに第二次世界大戦以降の西部、なかでも南西部の人口増加は著しい。それは、1790年の第1回国勢調査から現在までのアメリカの人口重心の西方移動の軌跡をみても明らかである。最初東部のメリーランド州にあった人口重心は、現在までに中西部のイリノイ、ミズーリ両州の境界線近くへと着実に移ってきているが、第二次大戦以後、移動のペースは増し、そして南寄りに下がる傾向がみられる。

[平野 孝]

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百科事典マイペディア 「西漸運動」の意味・わかりやすい解説

西漸運動【せいぜんうんどう】

17世紀以後,米国における西部の未開拓地フロンティアへの定住地の拡大,人口の移動をいう。特に1812年戦争以後,インディアンの排除,ルイジアナ購入,テキサス併合,ゴールドラッシュ,交通機関の発達によって急速に進み,19世紀末にはロッキー山脈地域に至って終了した。
→関連項目アパラチア[山脈]アメリカ合衆国コーン・ベルト北西部条令ホームステッド法マニフェスト・デスティニー

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旺文社世界史事典 三訂版 「西漸運動」の解説

西漸運動
せいぜんうんどう
Westward Movement

アメリカ史上,白人の開拓移住が漸次西方に拡大し,大西洋岸から太平洋岸に達した長期間の運動
1635年,マサチュセッツ植民者の一部がコネティカットに移住したのに始まり,19世紀の終わりまで続く。1812年の米英戦争後から南北戦争までの間が最盛期。フロンティア(辺境)開拓をめざす農業移民は,アメリカ独立戦争のころにはアパラティア山脈を越え始め,1830年代にはミシシッピを越えてミズーリ・アーカンソーに達し,40年代には辺境は一躍ロッキー山脈を越えて太平洋岸に及び,カリフォルニアに金鉱も発見された。辺境開拓は植民会社や政府の援助にたよらず,ほとんど個々の家族や小集団の手で行われた。先住アメリカ人は,これによって居住地を奪われ,劣悪な境遇に置かれた。

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世界大百科事典(旧版)内の西漸運動の言及

【開拓】より

…ヨーロッパは移住者のみならず資本をも供給し,かつ市場を提供した。 アメリカの開拓は西漸運動として知られるが,新大陸における開拓の一つの典型であった。すでに17世紀以来,イギリスを中心とするヨーロッパ諸国からの移民が到着し,北東部ニューイングランドではタウンシップ,南部ではプランテーションという形態で,開拓が行われた。…

※「西漸運動」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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