西海(市)(読み)さいかい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「西海(市)」の意味・わかりやすい解説

西海(市)
さいかい

長崎県の西彼杵半島(にしそのぎはんとう)北端に位置する市。2005年(平成17)西彼杵郡西彼町(せいひちょう)、西海町(さいかいちょう)、大島町、崎戸町(さきとちょう)、大瀬戸町(おおせとちょう)が合併、市制施行して成立。北は佐世保湾、針尾(はりお)瀬戸を挟んで佐世保市に対し、西は五島灘(ごとうなだ)、東は大村湾に囲まれ、南は長崎市に接する。大島、蛎ノ浦(かきのうら)島のほか、五島灘に点在する島々を含む。海岸部のほとんどは大小の入江や崎・鼻が入り組み、沖の島々をあわせて多様な景観を呈し、市域には落日が美しいスポットも多い。西海国立公園、西彼杵半島県立公園、大村湾県立公園、県立西海橋公園の指定域で、七釜鍾乳洞(ななつがましょうにゅうどう)は国指定天然記念物。西部の海岸沿いを国道202号が走り、針尾瀬戸に架かる西海橋を渡って佐世保市に通じる。同国道から分岐する県道は、大島大橋、寺島(てらしま)大橋、中戸(なかと)大橋を経て崎戸島に至る。また、大村湾沿いの東海岸は国道206号が通る。

 西彼町地区の亀(かめ)岳は黒曜石の原産地として知られ、小迎遺跡(こむかえいせき)(西彼町地区)からは旧石器時代や縄文時代の遺物が発見されている。平安末期から室町期にかけて当地方では独特の滑石製の石鍋が作られ、ホゲット石鍋製作遺跡(国指定史跡)をはじめ数多くの石鍋製作所跡がある。佐世保湾に臨む横瀬浦(よこぜうら)は、1562年(永禄5)大村純忠が開港して、ポルトガルと貿易を始めた港として著名。純忠の統治時代、地内の寺院などは破却され、キリスト教の布教が推進されたという。西海町中浦(なかうら)地区は、天正遣欧使節の一人、中浦ジュリアンの出生地。江戸時代は大村藩領で推移し、蛎ノ浦島、江島(えのしま)は捕鯨の島であった。明治時代末期以降、蛎ノ浦島は石炭の島として栄えたが、昭和40年代に閉山し、過疎化が進んだ。同年代に崎戸製塩工場(現、ダイヤソルト)が開設され基幹産業となる。なお、谷口雅春(まさはる)が開設した生長の家の総本山龍宮住吉本宮や拝殿ほか諸施設が国道206号沿いに並ぶ。大村湾岸や五島灘沿岸の漁港では沿岸漁業でタコ、ウニ、海藻類が漁獲されたが、近年はアジ、タイなどの養殖漁業が盛んとなった。農産物ではサツマイモジャガイモ、米、スイカ、トマト、タマネギ、柑橘類などが栽培されている。面積241.60平方キロメートル、人口2万6275(2020)。

[編集部]


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