西我堂村(読み)にしがどうむら

日本歴史地名大系 「西我堂村」の解説

西我堂村
にしがどうむら

[現在地名]松原市天美我堂あまみがどう二―三丁目・同七丁目

東我堂村の西にあり地形は平坦。村域の南西隅が、古代難波京の中央から南下する難波大道と、大津道(のちの長尾街道)との交差点で、現松原市域の条里制坪付の基点になっている。延久四年(一〇七二)九月五日の太政官牒(石清水文書)にみえる丹北郡矢田やた庄の田地所在地の一所に一条「篠原里」があるが、同里は一条一里にあり、難波大道に沿った当村小字篠原しのはらにあたると考えられる。

文禄三年(一五九四)検地の段階では東我堂の地とともに我堂村を構成、分村の時期は不明だが(→東我堂村正保郷帳の写とみられる河内国一国村高控帳には西我堂村とあり高三一五石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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