西千石馬場町(読み)にしせんごくばばまち

日本歴史地名大系 「西千石馬場町」の解説

西千石馬場町
にしせんごくばばまち

[現在地名]鹿児島市西千石町にしせんごくちようなど

東千石馬場町の西に位置し、西は甲突こうつき川、南は加治屋かじや(鹿児島県地誌)。天保城下絵図によれば北は千石馬場、東は二官橋にかんばし通、南は高見たかみ馬場、西は甲突川で限られた地域にあたる。東西には北から千石馬場と高見馬場の中間に天神てんじん馬場、天神馬場と高見馬場との間に諏訪すわ小路がある。南北には東から二官橋通・谷山たにやま(三官橋通)柿本寺かきもとじ(柿本寺馬場)番所ばんしよ小路がある。近世には柿本寺通から西側甲突川までは上之加治屋うえのかじや町であった。千石馬場には碇山将曹(添地共一千六八〇坪)の屋敷があり、児玉日記(鹿児島の地域と歴史)に天保期(一八三〇―四四)土地取得に関する記事がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報