行徳(読み)ギョウトク

デジタル大辞泉 「行徳」の意味・読み・例文・類語

ぎょうとく【行徳】[地名]

千葉県市川市南部地名江戸川河港成田街道宿場町として発達。江戸時代製塩が盛んであった。工業地・住宅地。新浜鴨場と野鳥観察舎がある。

ぎょう‐とく〔ギヤウ‐〕【行徳】

仏道修行によって身に備わる徳。

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精選版 日本国語大辞典 「行徳」の意味・読み・例文・類語

ぎょうとく ギャウトク【行徳】

[1] 千葉県市川市の南部、東京湾に面する地名。かつては江戸川の河港として栄え、行徳塩田で知られたが、埋め立てが進展東京メトロ(旧営団地下鉄東西線、首都高速湾岸線、JR京葉線が通じる。
[2] 〘名〙 (江戸時代、行徳塩田の塩が近海小魚と共に江戸に供給されたところから) 塩をいう、茶屋楽屋での隠語
※雑俳・雲鼓評万句合‐寛延三(1750)二「赤穂から見りゃ行徳は田舎塩」

ぎょう‐とく ギャウ‥【行徳】

〘名〙
仏語。仏道修行によってそなわる徳。
霊異記(810‐824)下「是を以て天皇其の行徳を貴び、僧正に拝任す」
② 徳を行なうこと。〔史記‐殷本紀〕

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「行徳」の意味・わかりやすい解説

行徳
ぎょうとく

千葉県北西部,江戸川三角州に位置する地区。旧町名。 1955年市川市編入近世の初期には東京湾岸最大の塩田地として,関東一帯に塩を供給し,野田の醤油醸造にも貢献したが,1923年高潮の被災で廃止。江戸時代には佐倉,成田に通じる街道と江戸への舟運の結節点として繁栄。 1900年総武鉄道の開通で衰えたが,1969年営団地下鉄東西線の延長を契機に,高層住宅の進出が著しい。湾岸の新浜に宮内庁新浜鴨場があり,一帯に市川野鳥の楽園がつくられている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「行徳」の意味・わかりやすい解説

行徳
ぎょうとく

千葉県市川市南部の地区。江戸川河口に近く、東京湾に面する。旧行徳町、南行徳町。近世初期、徳川氏は塩田造成を奨励し、燃料の松葉が得やすかったので、江戸(東京)湾最大の塩浜が形成された。中期以後、利根(とね)川、江戸川水運の終着点ともなり、成田参詣(さんけい)も盛んとなって、川岸の集落は河港町、宿場町として繁栄した。明治以後は低湿地での米づくりが行われてきたが、1969年(昭和44)営団地下鉄(現、東京地下鉄)東西線が開通して、マンションや住宅が建ち並ぶようになった。

[山村順次]

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百科事典マイペディア 「行徳」の意味・わかりやすい解説

行徳【ぎょうとく】

千葉県市川市,江戸川下流左岸の一地区。近世は東京湾最大の塩田,成田街道の宿場町,江戸川の河港。鉄道開通後衰微したが,近年京葉工業地域の一部として宅地化,工場進出が盛ん。地下鉄東西線が通じる。
→関連項目行徳塩田

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普及版 字通 「行徳」の読み・字形・画数・意味

【行徳】こうとく

徳行。

字通「行」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の行徳の言及

【市川[市]】より

…人口44万0555(1995)。1934年市川,八幡,中山の3町と国分村が合体して市制を施行し,その後行徳町など周辺の町村を編入した。市域は両総台地の西端から江戸川の三角州にまたがり,江戸川をはさんで東京都江戸川区に接する。…

※「行徳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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