日本大百科全書(ニッポニカ)「虫」の解説
虫
むし
一般に昆虫類の総称として用いられるが、動物の総称でもあり、鳥を羽虫、獣を毛虫、亀(かめ)の類を甲虫、竜のように鱗(うろこ)のある動物を鱗虫(うろこむし)といい、人間を裸虫(はだかむし)などといったりする。また鳥獣魚貝などを除いた小動物を総称したり、道教で人間の体内にすむと説く三尸(さんし)の虫をいったり、人体に寄生する回虫などもいい、近世には、人間の体内にあって、その人の健康状態や感情の動きにさまざまな影響を与える9匹の虫の存在が信じられていた。
[宇田敏彦]
文学
古典文学では、獣・鳥・魚以外の小動物を広くいうことが多い。『和名抄(わみょうしょう)』には、足のある虫を「蟲」、足のない虫を「豸(ち)」というとし、「鱗介(りんかい)(魚貝類)惣名也」ともある。人の体中にいて、健康や感情に影響を及ぼすとされたり(腹の虫)、子供の病気の原因とされたり(癇(かん)の虫)、物事に熱中することの比喩(本の虫)や軽蔑するときの形容(弱虫)に用いられたりする。民俗的な伝承や風習にもみえ、『日本書紀』皇極(こうぎょく)天皇3年(644)条には、蚕に似た虫(イモムシか)を「常世神(とこよのかみ)」として祭る記事がみえる。また、イナゴなど農作物を荒らす害虫を追い払う「虫送り」という呪術(じゅじゅつ)的な行事があり、秋の季題にもなっている。また、庚申(こうしん)の夜に眠ると、人の体内にいるという三尸虫が害をなし、命を縮めるといわれ、神仏を祭り、夜を徹して詩歌を詠むなどの催しも行われた。『万葉集』に、「この世にし楽しくあらば来(こ)む世には虫に鳥にも我はなりなむ」(巻3・大伴旅人(おおとものたびと))などと詠まれており、『万葉集』の虫には、あきづ(蜻蛉)、か(蚊)、こ(蚕)、こほろぎ(蟋蟀)、すがる(蜂)、せみ(蝉)、てふ(蝶)、はへ(蠅)、ひぐらし、ひひる(ひむし。蛾)、ほたる(蛍)などの名がみえる。『古事記』仁徳(にんとく)天皇条には「匍(は)ふ虫」「鼓(つづみ)」「飛ぶ鳥」と、蚕が繭となり成虫となる三態が比喩(ひゆ)的に記されている。虫は、「虫けら」(『うつほ物語』「俊蔭(としかげ)」)などとよばれることもあるが、鳴く声がもてはやされ、『古今集』には、きりぎりす(蟋蟀)、くも(蜘蛛)、せみ(うつせみ)、すがる(鹿と混同)、ひぐらし、ほたる、まつむし(鈴虫か)などの名がみえる。夏の火に群がる虫は「夏虫」と総称され、すでに『万葉集』からみられ、『古今集』の「夏虫の身をいたづらになすことも一つ思ひによりてなりけり」(恋1)などと、恋に身を焦がすことの比喩として詠まれた。虫は庭に放したり、籠(かご)に入れたりして、声を賞美したり、虫の宴を催して詩歌管絃(かんげん)を楽しむこともあった(『源氏物語』「野分(のわき)」「鈴虫」など)。『枕草子(まくらのそうし)』「虫は」の段には、すずむし(松虫か)、ひぐらし、てふ、まつむし、きりぎりす、はたおり(キリギリス)、われから(『古今集』などに、海人(あま)の刈る藻に住む虫、と詠まれる)、ひを虫(カゲロウか)、ほたる、みのむし(蓑虫)、ぬかづきむし(コメツキムシか)、はへ、夏虫、あり(蟻)などがあげられている。『枕草子』には、のみ(蚤。「にくき物」)、くつわむし(轡虫。「笛は」)などもみられる。『源氏物語』「橋姫(はしひめ)」には、しみ(紙虫)が出てくる。『古今(こきん)和歌六帖(ろくじょう)』六には、虫、せみ、夏虫、きりぎりす、まつむし、すずむし、ひぐらし、ほたる、はたをりめ、くも、てふ、の題があり、『和漢朗詠集』秋には、虫の項がある。『堤(つつみ)中納言物語』の「虫めづる姫君」は、蝶よりも毛虫が好きな姫君が登場し、いぼじり(カマキリ)やかたつむりを集めたり、男童にけら(オケラ)、ひき(ヒキガエル)、いなご、あまびこ(ヤスデ)など虫にちなむ名をつけたりする。『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』二十・魚虫禽獣(きんじゅう)には、白虫(シラミ)に報復されて死んだ男の説話、院政期の堀河(ほりかわ)朝に始まったという、殿上人たちが野で虫をとり内裏(だいり)に奉る虫撰(えら)びの行事の記事がみえる。謡曲『松虫』には、「きりはたりちょう」(キリギリス)、「つづりさせてふ」(コオロギ)、「りんりんりん」(スズムシ)という虫の擬声語が記されている。横井也有(やゆう)の『鶉衣(うずらごろも)』の「百虫譜(ひゃくちゅうのふ)」は虫尽くしになっているが、虫の範囲は広く、蛙(かえる)・蛇・蟹(かに)など、両生類・爬虫(はちゅう)類・甲殻類などにも及んでいたようである。季題は秋で、草むらに集(すだ)く虫が対象になっている。
[小町谷照彦]