蘇曼殊(読み)ソマンジュ

デジタル大辞泉 「蘇曼殊」の意味・読み・例文・類語

そ‐まんじゅ【蘇曼殊】

[1884~1918]中国、清末・民国初期の詩人文学者。横浜に生まれ、母は日本人。名は玄瑛げんえいあざなは子穀。曼殊は僧号。革命運動に参加。辛亥しんがい革命後は幻想的作風を示した。自伝的小説断鴻零雁記だんこうれいがんき」。スー=マンチュー。

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精選版 日本国語大辞典 「蘇曼殊」の意味・読み・例文・類語

そ‐まんじゅ【蘇曼殊】

中国、清末の漂泊詩人。本名玄瑛(げんえい)。字(あざな)は子穀。曼殊は僧号。日本人を母として横浜に生まれ、早稲田大学予科に学ぶ。蘇州で教師をするかたわら、上海の国民日報に翻訳・論説を寄稿、後、僧となり、東南アジアを遊歴しつつ作詩し、バイロンなどを中国に紹介。自伝的幻想小説「断鴻零雁記」のほか、「蘇曼殊詩集」がある。(一八八四‐一九一八

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「蘇曼殊」の意味・わかりやすい解説

蘇曼殊
そまんじゅ / スーマンシュー
(1884―1918)

中国、清(しん)末民国初年の文学者。名は玄瑛(げんえい)、字(あざな)は子穀(しこく)。広東(カントン)省中山県の人。横浜で中国人茶商人と日本人の女性の間に生まれる。養母は河合仙。1889年広東に帰郷したが、98年ふたたび来日。1902年早稲田(わせだ)大学高等予科に入学したころより革命派に近づき、青年会、軍国民教育会に参加。04年香港(ホンコン)で康有為(こうゆうい)暗殺を謀ったが未遂。シャムセイロンを流浪してサンスクリットを学び、07年劉師培(りゅうしばい)・何震(かしん)夫妻とともに来日。章炳麟(しょうへいりん)の国粋革命論、亜洲(あしゅう)和親会運動の影響を受けて排満的文章をつづり、インド革命家A・ゴーシュ原作とおぼしき『娑邏海浜遯跡記(さらかいひんとんせきき)』を訳す。F・M・ミュラーの著作を下敷きにして『梵(ぼん)文典』出版を計画、また南条文雄に入門してサンスクリット研究を志したが、ともに果たさず。また魯迅(ろじん)が計画した雑誌『新生』にも加わる予定だったが、未刊に終わった。当時バイロンに傾倒し、08年『バイロン詩選』を出版。09年ジャワ中華学校英語講師となり、文学結社南社にも参加。12年に帰国してからは、辛亥(しんがい)革命後の混乱のなか憂憤を抱いて日本、中国を流浪し、詩・小説を著した。革命後は象徴主義的作風を示した。自伝的装いの幻想小説『断鴻零雁記(だんこうれいがんき)』(1912)はその代表作。18年5月2日上海(シャンハイ)で病没。柳亜子編『蘇曼殊全集』全五巻(1928)があり、30年代に非常に流行した。日本ではその血統のため日中戦争期に盛んに紹介された。

[藤井省三]

『飯塚朗訳『断鴻零雁記』(平凡社・東洋文庫)』

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改訂新版 世界大百科事典 「蘇曼殊」の意味・わかりやすい解説

蘇曼殊 (そまんじゅ)
Sū Màn shū
生没年:1884-1918

中国,清末・民国初期の文人。名は玄瑛。曼殊は僧号。中国人を父,日本人を母として横浜に生まれる。少年時代を広東で送ったのち早稲田大学等に留学。のち出家したが章士釗(しようししよう),劉師培,章炳麟(しようへいりん)ら革命家と交わり,南社の詩人となった。英語に長じバイロン,シェリー等西洋のロマン派の詩を最も早く中国に紹介した。小説も書いたが,後の郁達夫の私小説の世界に一脈通ずるものがあるものの旧型の言情小説にとどまり,新しい文学を開くには至らなかった。没後友人たちによってかなり高く評価されたが,それは彼が激動の時代に漂泊者として生きた生き方の中に,当時の革命家たちがもった,一種ロマンティックな雰囲気を体現していたためであろう。友人柳亜子の編による《曼殊全集》全5巻(1935)がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「蘇曼殊」の意味・わかりやすい解説

蘇曼殊
そまんしゅ
Su Man-shu

[生]光緒10(1884).横浜
[没]1918.5.2. 上海
中国,清末民国初の小説家,詩人。本名,蘇玄瑛。曼殊は僧名。字,子穀。父は広東商人,母は日本人で,日本で生れ,少年時代を中国で過し,光緒 24 (1898) 年渡日して早稲田大学予科などに学んだ。革命運動に関係したため家との関係を絶ち帰国し,教師を経て上海国民日報社に入社,翻訳,論説を発表したが,突然剃髪し,東南アジア,日本などを遊歴しつつ幻想的な詩,小説を書き,上海で病没した。代表作は自伝的色彩をもつ『断鴻零雁記』 (1912) 。ほかに中国古典詩の英訳,G.バイロン,P.シェリーなど英詩の中国訳がある。『曼殊全集』 (5巻) がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「蘇曼殊」の解説

蘇曼殊 そ-まんじゅ

1884-1918 中国の文学者。
明治17年9月28日横浜で中国人の父,日本人の母の間に生まれる。中国にうつりすみ,明治35年早大に留学。このころから革命家とまじわり,青年会などに参加した。イギリスの詩人バイロンに傾倒し,ロマン派の詩を中国に紹介した。1918年5月2日死去。35歳。中国読みはスー-マンシュー。名は玄瑛(げんえい)。字(あざな)は子穀(しこく)。曼殊は僧号。作品に「断鴻零雁(だんこうれいがん)記」,訳書に「娑邏海浜遯跡(さらかいひんとんせき)記」など。

蘇曼殊 スー-マンシュー

そ-まんじゅ

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百科事典マイペディア 「蘇曼殊」の意味・わかりやすい解説

蘇曼殊【そまんじゅ】

中国,清末・民国初期の詩人,小説家。母は日本人。横浜生れ。仏門に入り,革命と遁世(とんせい)の間で,動揺と漂泊の生活を送る。自伝的中編《断鴻零雁記》等がある。作品は感傷主義的なものが多い。

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