藤田組贋札事件(読み)ふじたぐみがんさつじけん

改訂新版 世界大百科事典 「藤田組贋札事件」の意味・わかりやすい解説

藤田組贋札事件 (ふじたぐみがんさつじけん)

明治初期に大阪の政商藤田組長州閥井上馨贋札を製造したという疑惑事件。1878年末以来各地で贋札が発見され,手代の密告から1879年9月藤田組幹部藤田伝三郎中野梧一犯人として逮捕された。藤田組は長州藩奇兵隊出身の藤田伝三郎と久原庄三郎らが創立した商社で,長州閥とくに井上庇護により急成長した。中野梧一は旧幕臣(前名斎藤辰吉)であるが,廃藩置県後大蔵大輔の井上に見いだされ初代山口県令となり,のち辞任して藤田組に投じた。疑惑は井上がドイツ滞在中同地で贋札を製造し藤田組に送ったというもので,結局確証がなく12月2人は釈放され,後日神奈川県の画家熊坂長庵が真犯人として逮捕された。この事件は政争がからみ,井上がもと経営していた先収会社と山口県地租引当米の不正も批判の対象になっていたが,うやむやのうちに終わった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤田組贋札事件」の意味・わかりやすい解説

藤田組贋札事件
ふじたぐみがんさつじけん

藤田組が長州藩出身の井上馨(かおる)と結託して、贋札を発行したとして嫌疑をかけられた事件。1878年(明治11)12月、府県からの地租などの貢納金のなかに贋札が発見され、藤田組にも嫌疑がかかった。翌年9月には家宅捜索を受け、幹部の藤田伝三郎、中野梧一(ごいち)らが検挙された。ドイツに滞在中の井上が藤田組の営業資金にしようとしてドイツで紙幣偽造したと伝えられたためである。事件そのものは藤田組に関係なかったが、明治初年以降の藤田組の急激な成長が藩閥政府官僚との癒着によっていたため、おりからの自由民権運動のなかで政治問題化したのである。

[加藤幸三郎]

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百科事典マイペディア 「藤田組贋札事件」の意味・わかりやすい解説

藤田組贋札事件【ふじたぐみがんさつじけん】

1878年以来各府県納租金中から贋札が発見され,偽造の嫌疑が藤田組(藤田伝三郎商社の通称)にかかった事件。1879年手代の密告により幹部の藤田伝三郎・中野梧一が検挙されたが,証拠不明で無罪となった。藤田組の政商的性格,長州閥,特に井上馨との密接な関係が明らかにされ,薩長の派閥対立,民権派の政府攻撃の材料となった。

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世界大百科事典(旧版)内の藤田組贋札事件の言及

【疑獄】より

…〈疑獄〉という言葉は,元来入獄させるか否かが明確でなく,犯罪事実があいまいな事件を意味する。この種の事件は多かれ少なかれ政・官・財界に波及するため,現在では政治問題化した利権関係事件の総称となっている。政治問題として社会的に大きく取りあげられ,ジャーナリズムによる声高な批判を代償として,刑事事件としては訴追されることがきわめて少ないのが疑獄事件の特徴といってよい。 明治初期においては,山県有朋が関与したといわれる山城屋事件など,藩閥政府と政商とが特権の供与をめぐって直接結びついたケースがあり,多くは表沙汰にならなかった。…

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