精選版 日本国語大辞典 「藤田小四郎」の意味・読み・例文・類語
ふじた‐こしろう【藤田小四郎】
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
(吉田昌彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
幕末期の志士。水戸藩士藤田東湖(とうこ)の四男。名は信(まこと)、字(あざな)は子立(しりゅう)、通称小四郎、変名小野贇男(あやお)。尊王攘夷(じょうい)運動に参加、1864年(元治1)筑波(つくば)山に挙兵し、筑波天狗(てんぐ)党の中心人物の1人となる。各地に転戦するが利なく、上洛(じょうらく)の途中、越前(えちぜん)国(福井県)新保(しんぼ)で加賀藩に降伏、刑死した。墓は敦賀(つるが)市と水戸市常磐(ときわ)共有墓地にある。
[秋山高志]
1842~65.2.4
幕末期の尊攘激派志士。水戸藩士藤田東湖(とうこ)の四男。父に水戸学を学び尊王攘夷の強い気概をもつ。1863年(文久3)藩主徳川慶篤(よしあつ)に随従して上洛。広く志士と交わり,とくに萩藩の桂小五郎(木戸孝允)らと東西呼応した挙兵を画策。翌年(元治元)町奉行田丸稲之衛門らと筑波山で挙兵した。諸生党や幕府・諸藩兵に攻撃され各地で転戦するが敗れ,武田耕雲斎(こううんさい)を首領として西上の途中金沢藩に降伏し,敦賀(つるが)で斬刑に処せられた。
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…水戸藩主徳川斉昭の下で改革政治に登場した者が天狗と呼ばれ,尊攘激派を中心とした天狗党は,保守派とくに諸生党と激しく対立した。1863年(文久3)8月18日の政変で尊攘運動が挫折すると,天狗党の藤田小四郎らは幕府に攘夷の実行を促すため,田丸稲之衛門を総帥として翌64年3月27日筑波山に挙兵した。当初攘夷祈願のため日光に向かうが,はじめから軍資金不足に悩まされ,近在の諸藩や豪農商に金穀を強要することが多かった。…
※「藤田小四郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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