藤沢 浅二郎(読み)フジサワ アサジロウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「藤沢 浅二郎」の解説

藤沢 浅二郎
フジサワ アサジロウ


職業
新派俳優・作者

生年月日
慶応2年 4月25日

出生地
京都府

経歴
雑誌「活眼」の記者を経て、明治24年川上音二郎の壮士芝居一座に俳優兼作者として参加。「板垣君遭難実記」「経国美談」「金色夜叉」などの台本を執筆。俳優としては最初女形をつとめたが、のち立役に回る。「金色夜叉」の貫一や「己が罪」の塚口などが当り役。新派劇壇の重鎮として川上の補佐役もつとめた。41年に私財を投じて、東京・牛込に東京俳優養成所(のちの東京俳優学校)を設立。大正時代新劇・映画で活躍した人々を数多く輩出した。晩年は映画にも出演したが、役に恵まれなかった。

没年月日
大正6年 3月3日 (1917年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「藤沢 浅二郎」の解説

藤沢 浅二郎
フジサワ アサジロウ

明治・大正期の新派俳優・作者



生年
慶応2年4月25日(1866年)

没年
大正6(1917)年3月3日

出生地
京都府

経歴
雑誌「活眼」の記者を経て、明治24年川上音二郎の壮士芝居一座に俳優兼作者として参加。「板垣君遭難実記」「経国美談」「金色夜叉」などの台本を執筆。役者としては最初女形を務めたが、のち立役に回る。「金色夜叉」の貫一や「己が罪」の塚口などが当り役。新派劇壇の重鎮として川上の補佐役もつとめた。41年に私財を投じて、東京・牛込に東京俳優養成所(のちの東京俳優学校)を設立。大正時代の新劇・映画で活躍した人々を数多く輩出した。晩年は映画にも出演したが、役に恵まれなかった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「藤沢 浅二郎」の解説

藤沢 浅二郎 (ふじさわ あさじろう)

生年月日:1866年4月25日
明治時代;大正時代の俳優
1917年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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