藤山寛美(読み)フジヤマカンビ

デジタル大辞泉 「藤山寛美」の意味・読み・例文・類語

ふじやま‐かんび〔ふぢやまクワンビ〕【藤山寛美】

[1929~1990]喜劇俳優。大阪の生まれ。本名、稲垣完治。松竹新喜劇参加、阿呆役で一世風靡ふうびした。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤山寛美」の意味・わかりやすい解説

藤山寛美
ふじやまかんび
(1929―1990)

喜劇俳優。本名稲垣完治(いながきかんじ)。新派俳優藤山秋美(しゅうび)の第5子として大阪に生まれる。関西新派の子役を経て1941年(昭和16)松竹家庭劇に入座。のち各地を放浪、第二次世界大戦後の48年(昭和23)松竹新喜劇(現新生松竹新喜劇)に参加、渋谷天外(しぶやてんがい)とコンビを組んでの『親バカ子バカ』などでヒットを飛ばす。66年に借金問題で一時除籍になるが翌年復帰、健康を害した天外にかわって劇団を統率、上方(かみがた)喜劇の発展に努めた。テレビ出演も多かった。

[向井爽也]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「藤山寛美」の意味・わかりやすい解説

藤山寛美
ふじやまかんび

[生]1929.6.15. 大阪
[没]1990.5.21. 大阪
喜劇俳優。本名稲垣完治。関西新派俳優藤山秋美の子で,4歳で初舞台。中学を中退して,1941年松竹家庭劇に入団,48年松竹新喜劇創立に参加。 59年,テレビ番組『親バカ子バカ』で師匠2世渋谷天外を父役に阿呆息子を演じ,以後,阿呆役を中心に新喜劇の花形スターの座につく。 66年4月私生活上の理由から劇団を除籍されるが,同年 11月に復帰,病床にあった天外に代って劇団を率い,新喜劇の黄金時代を築いた。無類の間 (ま) のよさと愛嬌を持ち味とし,観客リクエストによる即席公演を行うなど斬新なアイデアにすぐれた。代表作に『花の六兵衛』『花ざくろ』『桂春団治』など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤山寛美」の解説

藤山寛美 ふじやま-かんび

1929-1990 昭和時代の喜劇俳優。
昭和4年6月15日生まれ。新派俳優の藤山秋美(しゅうび)の子。4歳で初舞台。昭和16年松竹家庭劇に入団,子役として出演。戦後,渋谷天外らの松竹新喜劇に参加し,34年テレビドラマ「親バカ子バカ」で一躍人気者となった。平成2年5月21日死去。60歳。大阪出身。本名は稲垣完治。著作に「凡談愚言」など。
格言など】金がなくても恥ずかしないが,芸がないのは恥ずかしい

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世界大百科事典(旧版)内の藤山寛美の言及

【松竹新喜劇】より

…旗揚げのプログラムは茂林寺文福(もりんじぶんぷく)こと曾我廼家十吾(そがのやとおご)(1892‐1974)と館直志(たてなおし)こと渋谷天外合作《丘の一本杉》,和老亭当郎(わろうていとうろう)こと曾我廼家十郎作《手》,一堺漁人(いつかいぎよじん)こと曾我廼家五郎作《嵯峨野の雪》ほかであった。参加メンバーには渋谷天外,曾我廼家十吾,浪花(なにわ)千栄子(1907‐73),藤山寛美(かんび)(1929‐90),曾我廼家大磯,曾我廼家明蝶(めいちよう),曾我廼家五郎八,曾我廼家鶴蝶(つるちよう)らがいる。松竹新喜劇結成のきっかけは,喜劇王といわれていた曾我廼家五郎(曾我廼家劇)が48年11月に他界したことにあった。…

※「藤山寛美」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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