藤原長良(読み)ふじわらのながら

朝日日本歴史人物事典 「藤原長良」の解説

藤原長良

没年斉衡3.7.3(856.8.6)
生年延暦21(802)
平安前期の公卿。冬嗣と美都子(尚侍。真作の娘)の長男。枇杷殿と号した。父が嵯峨天皇に重用された関係から仁明天皇(嵯峨天皇の皇子)に信任され,東宮時代から片時も離れることなく近侍,即位とともに左馬頭,蔵人頭に任じられ,のち参議。嘉祥3(850)年仁明が没したときには,「父母のごと」く追慕悲泣し,肉食を断ち冥福を祈ったという(『文徳実録』)。仁明朝以降は同母弟の良房に越階されているが,兄弟間には何のわだかまりもなかったというから,良房とは対照的に権勢にも淡白であったとみられる。子の基経は良房の養子となって藤原北家の正嫡を継承し,娘高子は清和天皇に入り陽成天皇を生んだ。正一位太政大臣を追贈

(瀧浪貞子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原長良」の解説

藤原長良 ふじわらの-ながら

802-856 平安時代前期の公卿(くぎょう)。
延暦(えんりゃく)21年生まれ。北家藤原冬嗣(ふゆつぐ)の長男。母は藤原美都子(みつこ)。仁明(にんみょう)天皇の東宮時代から近侍。承和(じょうわ)11年(844)参議。のち権(ごんの)中納言,従二位。枇杷(びわ)殿とよばれる。弟良房に官位をこえられたが,高潔,寛容な人柄で人にしたわれたという。斉衡(さいこう)3年7月3日死去。55歳。贈正一位左大臣,ついで贈太政大臣。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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