藤原良相(ふじわらのよしみ)(読み)ふじわらのよしみ

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

藤原良相(ふじわらのよしみ)
ふじわらのよしみ
(813―867)

平安前期の官僚。冬嗣(ふゆつぐ)の第五子で、母は尚侍(ないしのかみ)藤原美都子(みつこ)。名は「よしすけ」とも。その出自、度量広大にして才幹ありと評された資質などからすれば栄達の途は保証されていたといえるが、文人的生活を好んだらしく、仏教に帰依(きえ)し、東六条の崇親院(すうしんいん)に貧困の一族の子女を収養した。蔵人(くろうど)、左近衛(さこのえ)少将を経て、承和(じょうわ)の変(842)では兵衛(ひょうえ)の兵40人を率いて行動し、848年(嘉祥1)参議、右大弁、陸奥出羽(むつでわ)按察使、春宮大夫(とうぐうだいぶ)を経て、中納言(ちゅうなごん)から大納言近衛大将となり、857年(天安1)には右大臣となった。応天門の変(866)後に致仕(ちし)を願ったが許されず、翌年没した。兄良房に隠れてあまり目だたないが、良房政権を支える存在でもあったらしい。『貞観格式(じょうがんきゃくしき)』『続日本後紀(しょくこうき)』の編纂(へんさん)にも加わっている。

[佐藤宗諄]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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