藤原為業(読み)ふじわらのためなり

精選版 日本国語大辞典 「藤原為業」の意味・読み・例文・類語

ふじわら‐の‐ためなり【藤原為業】

平安末期の歌人。為忠の子。出家して寂念といい、兄弟の為経(寂超)・頼業(寂然)らと大原に隠れ住み、常磐(大原)三寂といわれる。「千載集以下勅撰集に五首ほど入集生没年未詳。

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デジタル大辞泉 「藤原為業」の意味・読み・例文・類語

ふじわら‐の‐ためなり〔ふぢはら‐〕【藤原為業】

平安末期の歌人。出家して寂念じゃくねんと号し、兄弟の為経(寂超)・頼業(寂然)とともに大原に隠れ住み、大原三寂と称された。歌は「千載集」などにみえる。生没年未詳。

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改訂新版 世界大百科事典 「藤原為業」の意味・わかりやすい解説

藤原為業 (ふじわらのためなり)

平安末期の歌人。生没年不詳。1114年(永久2)ころ生まれ,81年(養和1)ころは生存。為忠の子。伊賀守,蔵人,皇后宮大進などを歴任,1160年(永暦1)前後に出家,寂念と号し,東山霊山に住んだ。大原の三寂(常磐(ときわ)の三寂)の一人。1134-35年ころの父為忠家両度の百首に加わり,66年重家歌合以下に出詠。自ら歌合を催し,平忠度が加わったこともあった。勅撰集には《千載集》に初出。平明な歌風である。〈吉野山花の盛りになりぬれば立たぬ時なき峯の白雲〉(《千載集》)。
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朝日日本歴史人物事典 「藤原為業」の解説

藤原為業

没年:没年不詳(没年不詳)
生年:永久2頃(1114)
平安時代の歌人。常盤丹後守為忠の次男。母は橘大夫(俊宗か)の娘(なつとも)。出家して寂念と称し,弟の為経(寂超),頼業(寂然)と共に常盤三寂(大原三寂)と呼ばれた。父為忠の主催する2度の歌合のほか,出家後も仁安1(1166)年『重家家歌合』,嘉応1(1169)年『住吉社歌合』,承安2(1172)年『広田社歌合』,治承3(1179)年以前の『治承三十六人歌合』,養和1(1181)年ごろ『一品経和歌懐紙』などの作者となる。歌人としての力量は,三寂のなかで最も評価が低い。落ち着きのある作風である。<参考文献>井上宗雄『増補版・平安後期歌人伝の研究

(谷知子)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原為業」の解説

藤原為業 ふじわらの-ためなり

?-? 平安時代後期の官吏,歌人。
藤原為忠の次男。母は橘大夫の娘。伊豆守(いずのかみ),皇后宮大進などを歴任。出家して寂念と称し,弟の為経(寂超),頼業(寂然)とともに常磐三寂(ときわのさんじゃく)(大原三寂とも)とよばれた。治承(じしょう)2年(1178)「別雷社歌合」などに出詠,勅撰集に6首がはいっている。

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世界大百科事典(旧版)内の藤原為業の言及

【大鏡】より

…作者不詳。近代以前に藤原為業,同能信,近代になっても,源経信,同俊明,同俊房らを作者に擬する諸説が出されたが,いずれも,これほどのものを書く能力をもつ人物はだれか,というところからの推測である。書中に,〈今年,万寿二年乙丑(きのとうし)とこそは申すめれ〉の文があり,作中人物の官位などもよく合っているので,久しく1025年(万寿2)成立と信じられていたが,ごく少数の点でくいちがいがあり,万寿2年は作者のフィクションの設定と見られるようになっている。…

※「藤原為業」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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