藤原淑子(読み)ふじわらのしゅくし

朝日日本歴史人物事典 「藤原淑子」の解説

藤原淑子

没年延喜6.5.28(906.6.22)
生年:承和5(838)
平安前期の女官。父は藤原長良,母は難波淵子か。兄に基経がいる。貞観2(860)年23歳のときに無位から従五位上に叙せられるが,このころ宮廷に出仕,ほどなく28歳年上の藤原氏宗の後妻となり,夫の晩年の立身出世に功があった。35歳で寡婦となったのちも,兄基経と連携して引き続き後宮采配を振るった。元慶6(882)年に正三位,同8年尚侍に任命され,仁和3(887)年には一挙に従一位に叙せられる。政界で圧倒的な権勢を誇る一族の出身ではあるが,天皇の女御や御息所ではなく,女官として清和,陽成,光孝,宇多,醍醐天皇の後宮を指揮,位人臣を極め藤原北家の勢力をゆるぎないものとした。僧益信を尊崇し,亡夫終焉の東山椿ケ峯の山荘を寄進して円成寺を建立した。<参考文献>角田文衛『平安人物志』上

(菅原征子)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤原淑子」の意味・わかりやすい解説

藤原淑子
ふじわらのよしこ
(838―906)

平安初期の女官。権中納言長良(ごんちゅうなごんながら)の女(むすめ)で摂政関白基経(せっしょうかんぱくもとつね)の異母妹。右大臣藤原氏宗(うじむね)の後妻。甥(おい)の陽成(ようぜい)天皇のとき従三位(じゅさんみ)に叙せられ、基経が摂政であったという後援もあって典侍(ないしのすけ)として後宮を宰配した。その後、尚侍(ないしのかみ)に進み、宇多(うだ)天皇の即位に伴い、正三位から一挙に従一位に昇った。尚侍で従一位というのは破格であった。これより先、宇多天皇がまだ源定省(さだみ)とよばれていた時代に、淑子は養子のように世話をし、即位については彼女の働きが大きくあずかっていたと考えられる。宇多天皇も淑子を養母として処遇した。晩年になって東山に円成寺(えんじょうじ)を建立し、死後に正一位が追贈された。

[朧谷 寿]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原淑子」の解説

藤原淑子 ふじわらの-しゅくし

838-906 平安時代前期の女官。
承和(じょうわ)5年生まれ。藤原長良(ながら)の娘。藤原基経(もとつね)の妹。藤原氏宗の後妻で,宇多天皇の養母。元慶(がんぎょう)8年(884)尚侍となり,宇多即位により従一位にのぼる。光孝,宇多,醍醐(だいご)3代の天皇の後宮で采配をふるった。亡夫の東山の山荘に円成寺を建立。延喜(えんぎ)6年5月28日死去。69歳。名は「よしこ」ともよむ。

藤原淑子 ふじわらの-よしこ

ふじわらの-しゅくし

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