藤井高尚(読み)ふじいたかなお

精選版 日本国語大辞典 「藤井高尚」の意味・読み・例文・類語

ふじい‐たかなお【藤井高尚】

江戸後期国学者通称は小膳。松斎と号し、その邸を松の屋と称した。備中国岡山県)の人。本居宣長の門に入り、中古語研究等に力をそそいだ。また、父のあとを継ぎ吉備津神社宮司となり、のち従五位下長門守に任ぜられた。国学和歌にも広く通じ、特に文章にすぐれた。主著「三のしるべ」「消息文例」「伊勢物語新釈」など。明和元~天保一一年(一七六四‐一八四〇

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デジタル大辞泉 「藤井高尚」の意味・読み・例文・類語

ふじい‐たかなお〔ふぢゐたかなほ〕【藤井高尚】

[1764~1840]江戸後期の国学者・歌人神官備中の人。通称、忠之丞。号、松の屋・松斎。本居宣長門下で、すぐれた文章家であった。著「みつのしるべ」「伊勢物語新釈」など。

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改訂新版 世界大百科事典 「藤井高尚」の意味・わかりやすい解説

藤井高尚 (ふじいたかなお)
生没年:1764-1840(明和1-天保11)

江戸後期の国学者。備中吉備津神社祠官。通称忠之丞,小膳。松屋(まつのや),松斎と号す。本居宣長有力門人の一人。歌文の学に長じ,中古ぶりの文章では彼の右に出る者がいなかったという。国学普及の志を立て,京都鐸舎(ぬでのや),大坂小柴屋などで教授。著書は刊行されたもの15部35巻におよぶが,そのうち随筆《松の落葉》,消息文《おくれし雁》《消息文例》,註釈《伊勢物語新釈》《大祓詞後々釈》や《松屋文集》などがよく知られている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤井高尚」の意味・わかりやすい解説

藤井高尚
ふじいたかなお
(1764―1840)

江戸後期の国学者。備中(びっちゅう)国加陽郡宮内字三日市(岡山市北区)に住する。父は高久。通称忠之丞(ただのじょう)、名は高尚、家を松屋(まつのや)と号する。吉備津宮(きびつのみや)宮司となり、従(じゅ)五位下長門守(ながとのかみ)に任ぜられる。本居宣長(もとおりのりなが)に入門。著書『三(みつ)のしるべ』(1826刊)は古道論を説く上巻「道のしるべ」と、中巻「歌のしるべ」、下巻「ふみのしるべ」からなる。歌論では宣長の「物のあはれ」説を継承し、小沢蘆庵(ろあん)の「ただこと」論を非難している。ほかに『伊勢(いせ)物語新釈』(1813)、『松屋自選歌集』などがある。

 桃の花下てる道はくらからじ日はくれぬともあそびてゆかむ
[辻森秀英]

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朝日日本歴史人物事典 「藤井高尚」の解説

藤井高尚

没年:天保11.8.15(1840.9.10)
生年:明和1(1764)
江戸中期から後期にかけての国学者。備中国(岡山県)吉備津神社社家頭高久と妻小春の子として生まれ,長じてその跡を継ぐ。幼名忠之丞,通称小膳,号松屋,松斎。少年時代は備中笠岡の小寺清先に国学を学び,京都の栂井一室に和歌を学んだ。30歳のころ本居宣長に入門し,『源氏物語』について手紙で質すなどして学んだ。時折上京して城戸千楯の開いた鐸屋に出講するなど,関西鈴門の中心的存在として活躍し,200~300におよぶ門人がいた。著書は多く,代表作に『消息文例』『伊勢物語新釈』『三のしるべ』『松の落葉』などがある。<参考文献>工藤進思郎『藤井高尚と松屋派』

(飯倉洋一)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「藤井高尚」の意味・わかりやすい解説

藤井高尚
ふじいたかなお

[生]明和1(1764).備中
[没]天保11(1840).8.15.
江戸時代後期の国学者。通称は忠之丞,小膳。松屋,松斎と号する。父は吉備津神社の祠官。初め笠岡の祠官小寺清先に学び,のち京都の栂井一室につき,最後に本居宣長に入門。歌文の学に詳しく,文章に秀でていた。京都の鐸及舎,大坂の小柴の屋で教授,門人も多かった。主著『大祓詞後々釈』 (1802) ,『伊勢物語新釈』 (12以前成立) ,『三つのしるべ』 (28) ,『松の落葉』『松屋文集』『神の御蔭の日記』『消息文例』『日本紀の御局考』。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤井高尚」の解説

藤井高尚 ふじい-たかなお

1764-1840 江戸時代後期の国学者。
明和元年生まれ。藤井高雅の養祖父。備中(びっちゅう)(岡山県)吉備津(きびつ)神社の祠官。寛政5年本居宣長(もとおり-のりなが)に入門し,師没後は鈴屋(すずのや)学派の中心として京都鐸舎(ぬでのや)などで講義した。天保(てんぽう)11年8月15日死去。77歳。通称は小膳。号は松斎,松屋(まつのや)。著作に「三のしるべ」など。

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