薪村(読み)たきぎむら

日本歴史地名大系 「薪村」の解説

薪村
たきぎむら

[現在地名]田辺町大字薪

東は天津神あまつかみ川、南は河内街道を境として田辺たなべ村、西南甘南備かんなび山、西から北は大住おおすみ村と接する。西南方に広がる山地が平野部の二倍もあり、地名からも山仕事が村の重要な産業であったことがわかる。平野部の中央を奈良街道(歌姫越)が通り、集落は西南の山麓と東の天津神川沿いにある。

集落の南から西の山地に多くの古墳が分布し、その密度は綴喜郡内で最も高い。堀切ほりきり古墳群・郷士塚ごうしづか古墳群・西山にしやま古墳群・いしたに古墳群・天理山てんりやま古墳群など計三〇以上の古墳が発見されている。このなかで郷士塚古墳群が最も古く、一号墳は前期、三号墳は中期の古墳とされるが、他は後期の群集墳とみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報