薔薇十字団(読み)ばらじゅうじだん(英語表記)Rosenkreuzer ドイツ語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「薔薇十字団」の意味・わかりやすい解説

薔薇十字団
ばらじゅうじだん
Rosenkreuzer ドイツ語
Rosicrucian 英語
Rose-Croix (de la fraternité) フランス語

17世紀初頭、ドイツにおいて神秘主義的な運動を展開した複数の結社総称。15世紀に伝説的人物クリスチャン・ローゼンクロイツChristian Rosenkreuz(1378―1484)によって創設された秘密結社をモデルとして、17世紀以降多くの会が創設された。

[平野和彦]

薔薇十字団の創設と教義

薔薇十字団」は神学者ヨハン・バレンティン・アンドレーエJohann Valentin Andreae(1586―1654)によって指名された、神智学とユートピア思想の教義を奉ずるメンバーによって創設された。彼らは始祖ローゼンクロイツの名にちなんで「Rosen(薔薇)Kreuz(十字)友愛団」を結成、「薔薇十字団の同志」とよばれたが、習慣的に「薔薇十字団」と略称された。彼らは、人類に仕えるために、完全な精神の実現を達成し、科学を極め、さらに長寿あるいは不滅に到達したとされる達人たちであった。

 1614年、ドイツで三つの短いテクストからなる基本文書、「薔薇十字団宣言」が初めて世に出された。そのテクストとは『薔薇十字団の名声』『世界の改革』『尊敬すべき薔薇十字友愛団への短い返答』である(『薔薇十字団の名声』では、ローゼンクロイツの生涯、薔薇十字団の教義が語られている)。その後、薔薇十字団の信条を告白する二つ目の宣言『薔薇十字団の告白』も出された。これらの二つの宣言のテクストは薔薇十字団の存在を世に知らしめると同時に、現代にまでつながるほどの大きな反響を呼びおこし、さらに第三の宣言として『1459年のクリスチャン・ローゼンクロイツの化学の結婚』が出された。これらのテクストは、アンドレーエを中心とするメンバーによるもので、一部アンドレーエ個人の著作とされている。

 『薔薇十字団の名声』によれば、薔薇十字団の規則は、
(1)無報酬で病人を治す
(2)自分たちが滞在する土地の習慣に従う
(3)毎年1回「聖霊の家」に集まる
(4)自分の後継者を決める
(5)R・C(Rosenkreuz・Christian)という文字を印章とする
(6)1世紀以上薔薇十字団の存在を秘密にしておく
の六つである。

 薔薇十字団は、万物には調和が存在し、それが乱されるのは悪魔によるものだと規定する。また、マクロとミクロの両宇宙の照応は球によるイメージで表され、その完全性を自ら達成するために、神聖なる数学を究めようとした。

[平野和彦]

薔薇十字団の淵源と展開

薔薇十字団の淵源(えんげん)に関しては、いくつもの仮説がたてられてはいるが、依然として不明である。薔薇はキリストの血、生命、愛を象徴し、十字架はキリスト教そのものを象徴するなどとされているが、これらの仮説はいずれも、さまざまな神話や思想が混合されて形成されていったことは間違いない。それはアダムに始まり、エジプト、インド、アラビアの思想の影響まで指摘されている。とくに強い影響を与えているといわれているのは、秘教的究極の知を得て救済に至るというグノーシス、秘教的、象徴的ユダヤ教による聖書テクストの解釈であるカバラ錬金術と関連するヘルメス思想、そして大きくいえば中世とプロテスタントの神秘主義である。

 当初ローゼンクロイツの名でよばれたこの秘密結社に、多くの信者が集まった。彼らは多かれ少なかれ世界の平和、純粋カルト(狂信性をもつ宗教集団)、物質的・精神的錬金術、啓示の理想に忠実な人々であり、前述のごとく17世紀のドイツで、また19世紀にはイギリスとフランスで、その実体をもつことになった。

 ドイツでは、さらに1777年以降、ベルリンで結成された「古式黄金薔薇十字団」が中心となって、その運動を拡大していった。また1888年、牧師ザミュエル・リヒターSamuel Richterによって、錬金術が優位にたつ「黄金薔薇十字団」が設立された。この会は後にフリーメーソンと結びつき、さらにはテンプル騎士団(テンプル騎士修道会)の伝説とも結びついた。イギリスのロンドンでは、1866年ごろ、古式黄金薔薇十字団からインスピレーションを受けて、「英国薔薇十字協会」が設立された。そのメンバーのうちの二人、マクレガーSamuel Liddell MacGregor Mathers(1854―1918)とウェスコットWilliam Wynn Westcott(1848―1925)がそこから分かれて「黄金の夜明け団」を創設。フランスでは、1888年にスタニスラス・ド・ガイタStanislas de Guaita(1861―97)が「薔薇十字カバラ団」を創設、2年後ジョゼファン・ペラダンJoséphin Péladan(1859―1918)がここから独立分離して、「聖堂聖杯薔薇十字団」あるいは「カトリック薔薇十字団」を組織した。

 20世紀になって、アメリカ合衆国では1909年にスペンサー・ルイスSpencer H.Lewis(1883―1939)が「古代神秘薔薇十字団」(AMORC)を設立。デンマーク人のマックス・ハインデルMax Heindel(1865―1919)は、「薔薇十字協会」を組織した(1911)。一方オランダでは「薔薇十字の朗読者」というグループが、最初の薔薇十字団の教義に戻ろうという動きをみせた。

[平野和彦]

薔薇十字団の思想の影響

薔薇十字団に関係した、あるいはその思想に影響を受けた哲学者や文学者は多い。その筆頭が『ファウスト』を書いたゲーテ。同じドイツではユング・シュティリング、シュテファン・ゲオルゲ、オーストリアのホフマンスタールらがいる。モーツァルトも薔薇十字団とは切り離せない。イギリスではとくにフランシスベーコン、フランスではデカルトに強い影響を与えた。また、エリック・サティは1892年に「カトリック・バラ十字団」のためにピアノ曲『バラ十字団の鐘』を作曲している。

[平野和彦]

『R・エディゴフェル著、田中義廣訳『薔薇十字団』(白水社・文庫クセジュ)』『フランセス・A・イエイツ著、山下知夫訳『薔薇十字の覚醒――隠されたヨーロッパ精神史』(1986・工作舎)』『マンリー・P・ホール著、大沼忠弘他訳『象徴哲学大系3 カバラと薔薇十字団』(1981・人文書院)』『C・マッキントッシュ著、吉村正和訳『薔薇十字団』(1990・平凡社)』『種村季弘著『薔薇十字の魔法』(河出文庫)』『R・シュタイナー著、西川隆範訳『薔薇十字会の神智学』(1985・平河出版社)』

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百科事典マイペディア 「薔薇十字団」の意味・わかりやすい解説

薔薇十字団【ばらじゅうじだん】

英語Rosicrucian,ドイツ語Rosenkreuzerの訳。17世紀初頭ドイツに興り,全欧に波及した思想運動を担った秘密結社。名は伝説的開祖C.ローゼンクロイツ(薔薇Rosen+十字Kreuz)にちなむ。《全世界の普遍的・総体的改革》《薔薇十字団の伝説》《薔薇十字団の信仰告白》《化学の結婚》の4文書がマニフェストで,J.V.アンドレーエ〔1586-1654〕が運動の中核にいたと目される。普遍主義的信仰と汎知学の結合によるヨーロッパの再生が企図され,ルネサンスの北方における徹底と考えることもできる。運動の周辺にはルドルフ2世,M.マイヤー,R.フラッドデカルトコメニウスシェークスピアら,多彩な人物を数える。のちフリーメーソンと結合して多くの類似結社を生み,また19世紀末には象徴主義に大きな霊感を与えた。同団の精神史・文化史上の意義は,F.A.イェーツ《薔薇十字の啓蒙運動》(1975年)などに詳しい。
→関連項目ディーパラケルスス錬金術

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デジタル大辞泉プラス 「薔薇十字団」の解説

薔薇十字団

17世紀初頭のドイツを発祥とする複数の神秘主義的秘密結社の総称。名称は、中世に存在したとされる同組織の伝説的始祖クリスチャン・ローゼンクロイツ(“薔薇の十字”の意)の名にちなむ。1614年にドイツで刊行された小冊子により初めてその存在が語られ、以後欧州各地に結社が創設された。グノーシス、カバラ、エジプトやインドの哲学や神話、ユートピア思想などが渾然一体となった神秘主義思想を特徴とし、ゲーテ、デカルト、モーツァルト、フランシス・ベーコンなど多くの思想家や芸術家が影響を受けたとされる。

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占い用語集 「薔薇十字団」の解説

薔薇十字団

15世期のドイツで結成されたといわれる魔術的秘密結社。1614年にドイツで刊行された怪文書「全世界の普遍的かつ総体的改革」と、その付録「薔薇十字団の伝説」で、初めてその存在が語られ一気に全ヨーロッパの話題をさらった。団長のローゼンクロイツは、カバラの秘儀を駆使し、数々の奇跡を起こしたといわれる。

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世界大百科事典 第2版 「薔薇十字団」の意味・わかりやすい解説

ばらじゅうじだん【薔薇十字団 Rosicrucian】

17世紀初頭,ドイツに興った精神運動。匿名作者による四つの基本文書公刊を機に姿を現した秘密結社で,架空の始祖ローゼンクロイツChristian Rosenkreuzの名にちなみ,メンバーは〈薔薇Rosen十字Kreuzの人〉を自称した。四つの基本文書とは,まず1614年にカッセルから出たパンフレット《全世界の普遍的かつ総体的改革》,並びにその付録の《薔薇十字団の伝説》,15年刊の《薔薇十字団の信条》,最後にシュトラスブルクで16年に刊行された風刺的寓意小説《化学の結婚》である。

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世界大百科事典内の薔薇十字団の言及

【アンドレーエ】より

…17世紀初頭の薔薇(ばら)十字団運動に重要な役割をはたした人物。薔薇十字団の四大著作のうち《世界の普遍的改革》《薔薇十字の伝説》《薔薇十字の信条》の3著の著者ではないまでも共同執筆者の一人であり,幻想小説風の奇書《化学の結婚》(1616)は彼の作品であることがほぼ確実とみられている。…

【オカルティズム】より

… 〈オカルト〉という語は16世紀前半からあらわれはじめたが,オカルト的信仰そのものの起源は古く,エジプトやメソポタミアの占星術,ヘブライのカバラ,古代ギリシアのピタゴラス教にまでさかのぼる。古代の秘密の知は道士たちの集団のなかで儀礼的に伝承されたが,近代オカルティズム運動にあっても,薔薇十字団フリーメーソンのような,秘儀伝授のための結社や分派がおびただしく出現した。オカルティズムはまずルネサンス期に,キリスト教的中世のなかでは表面から隠されていたさまざまな古代の知を総合して再生せしめようとする精神運動のなかにあらわれた。…

【ガイタ】より

…3冊の神秘的な詩集《渡り鳥》(1881),《黒い美神》(1883),《神秘の薔薇(ばら)》(1885)を発表して,オカルティズムの研究と再建に貢献する。はじめE.レビの弟子であったが,のちに独立し,薔薇十字団の革新のために尽くす。この方面の著作には,《神秘の門出に》(1886),《サタンの神殿》(1892)などがある。…

【秘密結社】より

… いずれにせよ大多数の秘密結社は,危機の時代に古い地盤から根こそぎにされた故郷喪失者の層から発生してくる。薔薇十字団は三十年戦争の混乱のなかから出現し,テンプル騎士団は十字軍の退廃に再度秩序をもたらそうとする欲求から生まれた。マウマウ団は白人宣教師や白人植民者によって伝統的生活形態を破壊されたキクユ族の苦悩から,クー・クラックス・クランは南北戦争の敗者たるアメリカ南部から,それぞれ発生する。…

【フラッド】より

…エリザベス朝の高官トマスThomas F.の子として生まれ,オックスフォードのセント・ジョンズ・カレッジに学んだ後,当時最も恵まれた階層が享受しえたヨーロッパ大陸への遍歴旅行を6年にわたって行った。そのおりパラケルスス派の錬金術的医学を学ぶとともに,大陸でようやくきざしはじめた薔薇十字運動(薔薇十字団)に接し,I.ジョーンズ,T.カンピオンらと協力しつつ,以後それをイギリスの文化的伝統として確立することに一生を捧げた。17世紀の科学革命に際しては,汎知学の立場からその還元主義には反対しながらも,W.ハーベーの血液循環論をいち早く支持するなど推進役をも果たしている。…

【フリーメーソン】より

…そもそもイギリスにおける石工は古くから教会や国王の特権的庇護の下にあり,さまざまの世俗的義務を免除されていた。この有力なギルドも中世の崩壊とともに大教会建築の機会が激減したため本来の職業的石工ギルドが解体にしているところへ,大陸渡来の薔薇(ばら)十字団のような秘密結社が再生の理念を接木したのが,18世紀初頭におけるフリーメーソン成立の主たる契機であったと考えられる。いずれにせよ“地上に神の家を造る”教会建築家の同職組合は,このころようやく,〈見えざる天上の家〉としての精神の建築物,すなわちフリーメーソンの構築へと脱皮を迫られていた。…

【ヘルメス思想】より

…とくにルネサンス時代にイタリアで《コルプス・ヘルメティクム》が翻訳刊行されて人々に大きな影響を与え,中でもコペルニクス,W.ギルバート,ケプラーなど近代科学の創始者たちに信奉されて近代科学成立の一つの契機となった。17世紀以後は公然化しなかったが,薔薇(ばら)十字団など秘密結社の中で受け継がれて技術者や芸術家の間に信奉者を見いだし,19世紀以降はロマン主義や象徴主義,シュルレアリスムなど主として文学,芸術において開花した。
[成立]
 ヘルメス思想の伝統の内部では,その教義はヘルメス・トリスメギストスに始まる。…

※「薔薇十字団」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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