蕨岡村(読み)わらびおかむら

日本歴史地名大系 「蕨岡村」の解説

蕨岡村
わらびおかむら

[現在地名]遊佐町大蕨岡おおわらびおか

日向につこう中流右岸にあり、東は鳥海山麓、西は大淵おおぶち村。鳥海山麓にあるため遺跡が多い。鞍出山くらでやま遺跡は縄文時代の集落跡、堂森どうもりA遺跡は縄文・奈良・平安時代の集落跡、唐戸岩からといわA遺跡は奈良・平安時代の窯跡。大物忌おおものいみ神社蕨岡口之宮の敷地内に蕨岡館跡があり、土塁や壕の跡が残っている。「北之坊銅板銘」によれば元徳三年(一三三一)六月、大旦那源正光・滋野行家・仏師七郎兵衛が「地結縁合力除災与楽」と祈願している。当村は古来鳥海山信仰の拠点として栄え、三三の宿坊があった。

蕨岡村
わらびおかむら

[現在地名]中村市蕨岡甲わらびおかこう蕨岡乙わらびおかおつ

ふじ村の北にあり、うしろ川の中流、後川と内川うちかわ川との合流地点の上流一帯の広域の村で、両河川沿いを主に小集落が散在する。奈路の駄場なろのだばから縄文土器・石鏃・スクレーパー、横谷よこやから縄文土器・石鏃、八幡神はちまんしん山裏山から弥生時代の扁平片刃石斧・石棒、程岡ほどおかから弥生土器敲石が各々出土し、蕨岡中学校校庭からは鎌倉時代の土師質土器・須恵器および土錘が出土している。

当村の長宗我部地検帳は残らない。「土佐州郡志」は「上蕨岡・下蕨岡・内川三所総曰蕨岡、当中村西、戸凡百五十、其土多砂石」と記し、産物として楮・茶・葛・蕨をあげる。元禄郷帳によると本田高一千四五八石余で現中村市域最大の村。寛保郷帳によれば家数一八六、人数八七四、馬一五六、牛四、猟銃三。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報