蕃坊(読み)ばんぼう(英語表記)fān fāng

改訂新版 世界大百科事典 「蕃坊」の意味・わかりやすい解説

蕃坊 (ばんぼう)
fān fāng

中国,唐・宋時代に外国貿易港であった広州泉州などに設けられた外国人の居留区。蕃坊の語義は蕃人(外国人)の居住する坊市(市街区)の意である。この時代に大食(たいしよく)(タージ)と呼ばれるアラブ波斯はし)と呼ばれるペルシア人を中心とする西アジアからの人びとが,商人として海路中国の沿岸都市に多数来航し,居住する者も少なくなかった。彼らは城内で中国人に混じって居住した者もあったが,地方政府の方針によって一定の居住区に住むことが求められ,その代表的なものは泉州(福建省晋江)である。ここには蕃坊があり,その取締りのために蕃長などと呼ばれる役職と蕃長司という役所があり,蕃長は在留外国人のなかから人望ある者が選任された。彼らは蕃坊の庶務を管掌し,海外から来る商人を接待した。蕃坊には一種治外法権が認められ,軽犯罪の処理にあたることができた。中国側にとっても蕃坊は便利な制度であった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「蕃坊」の意味・わかりやすい解説

蕃坊
ばんぼう
fan-fang

中国,唐・宋時代に外国貿易の行われた広州,泉州などに設けられた外国人 (蕃人) の居留地 (坊市) 。蕃人はペルシア人,アラビア人らであった。蕃坊は城内にはなく,おもに通商に便利な城外に設けられた。蕃長司という役所があり,蕃長,都蕃長などと呼ばれた長が事務を管理し,海外の蕃商を招いた。蕃長は,外国人居留民のなかから徳望の高い人が政府から任命され,軽い犯罪の裁判をゆだねられたので,蕃坊は一種の治外法権的な存在であった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「蕃坊」の解説

蕃坊
ばんぼう

中国の広州や泉州に置かれた外国人居留地
唐・宋時代に大食(タージー)と呼ばれたアラブ人や波斯(はし)と呼ばれたペルシア人などが中国の沿岸に来航したため,外国人居留地としてつくられた。城内とは分けられており,一種の治外法権が認められていた。

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世界大百科事典(旧版)内の蕃坊の言及

【回族】より

…これらのアラブやペルシア人は商人として,兵士として唐に来住したが,これによってイスラムが中国に広く普及したとはみなし難い。唐代から宋代にかけてアラブ・ペルシア系の貿易商人が南方海路で広州,泉州(福建省)などの商港に来て居住し,貿易によって巨富を積み,蕃坊(ばんぼう)という外人居住区を設け,さらに中国人と結婚したり,多年在留することもあった。そのなかで,南宋末,元朝初めの泉州の蒲寿庚(ほじゆこう)というアラブ系の商人は,数代前の先祖の時代から引きつづいて南海貿易商人として活躍し,泉州の提挙市舶(外国貿易管理長官)の地位にあった人物として有名である。…

【泉州】より

…最も繁栄したのは南宋代からで,臨安行在府の杭州に近い関係より,貿易額で歴史の古い広州をしのぎ,数十万人の人口を擁していた。中国人の海外発展の一大根拠地で,アラビア人をはじめ多数の外国人のために蕃坊と称する専用の居留地が河岸に沿って設けられたのもこの時期からのことである。 元代には中国第一の南海貿易港として世界的に有名となり,マルコ・ポーロやイブン・バットゥータらが〈ザイトン〉の名で世界一繁栄している港としてその盛況を伝えている。…

※「蕃坊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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