蔡和森(読み)さいわしん(英語表記)Cài Hé sēn

改訂新版 世界大百科事典 「蔡和森」の意味・わかりやすい解説

蔡和森 (さいわしん)
Cài Hé sēn
生没年:1895-1931

中国共産党初期の幹部湖南省双峰県の人。新文化運動に共鳴し,毛沢東らと新民学会結成した。1919年,フランス留学し,周恩来らと共産主義運動をはじめた。21年帰国して中共に入党指導中枢にあり,とくに中共機関誌《嚮導》の責任者として活躍した。28年,モスクワでの中共第6回大会に参加,帰国後香港で活動中を逮捕され,処刑された。中共の婦人幹部向警予は妻,蔡暢は妹である。
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百科事典マイペディア 「蔡和森」の意味・わかりやすい解説

蔡和森【さいわしん】

中国共産党初期の幹部。中国共産党の婦人幹部向警予は妻,蔡暢は妹。湖南省双峰県生れ。1918年友人の毛沢東らと進歩的な青年組織〈新民学会〉を結成。1919年フランスに留学,周恩来らと共産主義運動を始める。1921年帰国して中国共産党に入党,党の機関誌《嚮導》の責任者として活躍。モスクワでの中国共産党第6回大会(1928年)から帰国後,香港で活動中に逮捕され処刑。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「蔡和森」の意味・わかりやすい解説

蔡和森
さいわしん
Cai He-sen

[生]光緒16(1890).湖南,湘郷
[没]1931. ホンコン
中国共産党初期の理論家。妹の蔡暢は李富春夫人。長沙第一師範学校在学中から毛沢東の親友で,ともに新民学会を組織し,1921年フランスに留学。帰国後中国共産党宣伝部長,両広区委員会書記などを歴任したが,31年広東軍閥陳済棠に逮捕され,銃殺された。

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世界大百科事典(旧版)内の蔡和森の言及

【嚮導】より

…二全大会当時には,労動組合書記部機関誌《労動週刊》は発禁,理論機関誌《共産党》は停刊,《新青年》はきわめて不定期だったから,《嚮導》の果たした役割は大きい。主編は陳独秀,蔡和森が協力し,瞿秋白,彭述之,鄭超麟らの文章が多い。瞿秋白はまた中央機関誌《前鋒》(広州,1~3期,1923年7月~24年2月)をも主編した。…

【新民学会】より

…中国,五・四運動時期の進歩的青年組織の一つ。1918年4月,毛沢東が湖南省長沙で第一師範の友人蔡和森らと語らって組織した。〈学術の革新,品行の砥砺(しれい),人心風俗の改良〉を趣旨にかかげて軍閥追放,フランスへの勤工倹学,書店開設等の多彩な運動をおこない,そのうちの主要部分は中国共産党や社会主義青年団のメンバーとなった。…

【マルクス主義】より

… 初期中国共産党の理論的指導者,李大釗(りたいしよう)は,〈中国の今日は世界経済のうえでは世界のプロレタリア階級にならんとする地位に立っている〉(〈経済から中国近代思想変動の原因を解釈する〉――《新青年》第7巻第2号)と述べ,〈プロレタリア民族〉という観点からこの問題を解決しようとした。さらにフランスに留学していた蔡和森は,レーニンの帝国主義論をより直截に導入して,中国革命が帝国主義の世界支配と直接対峙する性質を有することを明らかにした(〈マルクス学説と中国プロレタリアート〉――《新青年》第9巻第4号)。かくして,帝国主義と国内におけるその代理人封建主義軍閥に反対する闘争が,中国マルクス主義者の実践課題となった。…

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