蓑虫庵(読み)みのむしあん

日本歴史地名大系 「蓑虫庵」の解説

蓑虫庵
みのむしあん

[現在地名]上野市西日南町

西日南にしひなた町の西南部にある。芭蕉五庵のうち、現存する唯一のもの。芭蕉の弟子服部土芳の別邸で六畳・四畳半・三畳・台所という小さい庵。土芳自筆の庵日記(沖森直三郎氏蔵)に元禄元年(一六八八)三月四日「山下の茅屋に初て住す」とある。山下は愛宕あたご山の下を意味し、愛宕大福だいふく寺の台地が南方一帯に延びていた。東の道に沿って門があり、南が開けて自然の四季の移り変りを楽しむことができた。土芳が新庵に移って八日目に芭蕉が初めて当庵を訪れ、その後、

<資料は省略されています>

の句を与え、初五の文字を新庵の名とした。元禄一二年一二月二六日火災に遭い(永保記事略)、翌年再建。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典・日本の観光資源 「蓑虫庵」の解説

蓑虫庵

(三重県伊賀市)
伊賀のたからもの100選指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の蓑虫庵の言及

【土芳】より

…85年(貞享2),20年ぶりに芭蕉に会い,再び俳諧に関心を抱き,3年後官を辞した。芭蕉から贈られた〈みのむしの音を聞きに来よ草の庵〉の面壁達磨(だるま)画賛にちなんで蓑虫庵(みのむしあん)(のちに些中庵(さちゆうあん)とも)と名づけた庵に住し,土芳と改号,俳諧に専念し,伊賀蕉門の中心人物となった。1702年(元禄15),芭蕉の遺語を主とした蕉風の俳論書《三冊子(さんぞうし)》を著し,09年(宝永6)には,《蕉翁句集》《蕉翁文集》《おくのほそ道》の,いわゆる〈三部書〉を書写し,芭蕉の霊前に供えた。…

※「蓑虫庵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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