葭町(読み)よしちよう

日本歴史地名大系 「葭町」の解説

葭町
よしちよう

堀江六軒ほりえろつけん町の俗称(「江戸惣鹿子名所大全」など)。また南の甚左衛門じんざえもん町をはじめ元大坂もとおおさか町・難波なにわ町・新和泉しんいずみ町など旧吉原よしわらの地を含めても葭町とよんだ。よし町とも記される。親父おやじ橋で入堀を東に渡ると、商業地から遊興地へと町の性格が一変し、葭町は若衆の男色を売る陰間茶屋でも知られた。江戸市中の陰間茶屋は寛政(一七八九―一八〇一)頃までは当町をはじめ木挽こびき町、湯島天神周辺、麹町天神周辺、神田塗師かんだぬし町代地、神田花房かんだはなぶさ(現千代田区)芝神明前しばしんめいまえ(現港区)にあった。

葭町
かやまち

[現在地名]丸亀市葭町

城の北側に位置する。南北に細長い町で、「西讃府志」に「通町ヨリ東ニ入ル処町長三十間、北ニ折テ西平山ニ至ル二町四十間、北詰ヨリ東ニ折テ雑賀町ニ至ル廿六間、雑賀町ヨリ西平山ニ出ル三十間四尺、松屋町通西ニ折テ米屋町ニ出ル卅間」とある。東は風袋ふるたい町、西は北から魚屋うおや町・米屋こめや町、南は風袋町とおり町、北は北平山きたひらやま町・西平山にしひらやま町。万治年間(一六五八―六一)の城下図には北側部分に新町と記される。山崎氏時代にまず北側から町が形成され、大部分は京極氏入封以後に形成されたと考えられる。「西讃府志」の家数は二七九・人数七二一、棒役七四本六歩。

葭町
よしまち

[現在地名]中区にしき一丁目

下材木したざいもく町の南にある。道筋堀切ほりきり筋を越えてほり川沿いに天王崎てんのうざき(現栄一丁目・大須一丁目)へ通じる。伝馬てんま町筋と堀切筋の納屋なや橋との間の二丁をさす。碁盤割の西南隅にあたる(尾張志)。慶長一六年(一六一一)清須の東葭きよすのひがしよし町を移して旧号をとなえた(蓬左遷府記稿)堀川の岸の葭を刈り商売にしたためとする説もある(尾張志)。寛文年中(一六六一―七三)東の字を除き、葭町と改称(町名起因並町家由緒)

葭町
よしまち

[現在地名]桑名市入江葭いりえよし

紺屋こんや町の南にあり、南北一条の町屋敷地。東南は堀に面して土塁となっている。北端には葭屋よしや門があって、城内へ通じる。隣接入江町かや町と続いて、慶長の町割以前は一面の洲崎であり、「久波奈名所図会」には「葭萱の生ひ茂りて中に入江のある地をならして町割せしなり」とある。元禄家帳(「桑名市史」所収)では家数一七。

葭町
よしまち

[現在地名]熱田区白鳥しろとり

芦町とも書き、堀川芦ほりかわよし町とも称した。北の材木ざいもく町境から南の西田中にしたなか町境まで、町の長さは西側で三五間余、東側で三三間半。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

百科事典マイペディア 「葭町」の意味・わかりやすい解説

葭町【よしちょう】

東京都中央区の町名。現在は日本橋人形町。湿地帯だったが江戸初期に埋め立てられ,1618年各所に散在していた遊里を集めて葭原吉原)と称した。陰間茶屋もあり,以後,東隣の人形町とともににぎわった。遊廓は,1657年浅草(現在の台東区千束の地)に移転され,以後浅草の新吉原に対してこの地を元吉原と呼んだ。
→関連項目吉原

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