葛野大堰(読み)かどのおおい

世界大百科事典(旧版)内の葛野大堰の言及

【大堰川】より

…また河谷沿いに陸路も山陰道,周山街道,若狭街道があって,日本海沿岸地域と京都を連絡し,亀岡(亀山),園部には城下町が発達した。【服部 昌之】
[歴史]
 名称の大堰は,秦氏の系譜を記したと思われる〈秦氏本系帳〉によれば,秦氏が一族をあげて葛野(かどの)川に取水堰を築いたといい,〈葛野大堰〉と呼んだ。これによって秦氏は5世紀後半に流域の開発に成功し,そのために大堰は記念すべき施設となり,川の名称も大堰川と呼ばれるようになった。…

【葛野川】より

…流域は早くから開発されていて,弥生時代などの多くの遺跡が存在する。文献への登場も早く,5世紀後半には葛野大堰と称される取水堰が作られたという。やがて平安時代に桂津が発展したために桂川の呼称が一般的となって,葛野川の名はほとんど用いられなくなった。…

※「葛野大堰」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」