葛城県(読み)かつらぎのあがた

世界大百科事典(旧版)内の葛城県の言及

【葛城】より

…《日本書紀》顕宗即位前紀によれば清寧天皇没後,履中天皇皇女(市辺押羽皇子の子ともいう)の飯豊青皇女が忍海角刺宮(おしうみつぬさしのみや)に臨朝秉政(へいせい)したという。葛城臣の没落後,葛城地方の豪族として残った葛城直が,葛城県を管掌していたと思われるが,新たに大王家の外戚となった蘇我氏の馬子が624年(推古32)に葛城県を本居として請うているが直轄領のため許されなかった。葛城県の名は,大化1年(645)8月詔に倭六県(やまとのむつのあがた)の一つとしてみえる。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」