葛原親王(読み)かつらばらしんのう

精選版 日本国語大辞典 「葛原親王」の意味・読み・例文・類語

かつらばら‐しんのう ‥シンワウ【葛原親王】

(「かづらはらしんのう」とも) 桓武天皇の第三皇子桓武平氏の祖。式部卿常陸太守を経て、大宰帥(だざいのそち)。天長三年(八二六)平朝臣の姓を許され、臣籍に下る。延暦五~仁寿三年(七八六‐八五三

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デジタル大辞泉 「葛原親王」の意味・読み・例文・類語

かつらばら‐しんのう〔‐シンワウ〕【葛原親王】

[786~853]桓武天皇の第3皇子。名は「かずらはら」とも。桓武平氏の祖。大蔵卿・式部卿などを経て大宰帥だざいのそち。天長2年(825)、たいらの姓を賜り臣籍に下った。

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改訂新版 世界大百科事典 「葛原親王」の意味・わかりやすい解説

葛原親王 (かつらはらしんのう)
生没年:786-853(延暦5-仁寿3)

平安初期の官人。桓武天皇の第3皇子,母は多治比真宗治部卿大蔵卿,弾正尹,式部卿,大宰帥,中務卿を歴任し一品となったが,とくに式部卿として名をあげた。843年(承和10)に老病を理由に致仕を請うたが,輦車(れんしや)で宮に入ることがとくに許された。その死に際しては薄葬遺言し,朝廷よりの葬事監護を辞退した。古今成敗をもって自戒とし,史伝に通じ,旧典について練達していないものはないほどであったという。それが重用された理由であろう。また825年(天長2)に子女の王号を停めて平朝臣姓を名のることを請い,これが許され,桓武平氏の流がはじまった。その子が高棟王で平氏の祖である。
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朝日日本歴史人物事典 「葛原親王」の解説

葛原親王

没年:仁寿3.6.4(853.7.13)
生年:延暦5(786)
平安初期の皇族で官人。桓武天皇の第3子。嵯峨天皇義兄に当たるが,母が多治比長野の娘真宗で卑姓のため皇位には就けなかった。治部,大蔵,式部卿,常陸,上野両国の太守や,大宰府(太宰府市)の長官を歴任したが,いずれも名誉職的な意味あいが強かった。天長8(831)年,46歳で一品に叙せられた。若くして学問を好み,史伝を歴覧し,古今の政治の教訓を忘れなかった。慎みぶかく驕ることはなかった。また式部卿を長く務めたので旧典に通じ,礼儀も諸親王のなかで抜きんでていた。遺言により葬儀も質素に行われたという。

(朧谷寿)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「葛原親王」の解説

葛原親王 かずらはらしんのう

786-853 平安時代前期,桓武天皇の皇子。
延暦(えんりゃく)5年生まれ。母は多治比真宗(たじひの-まむね)。治部卿,大蔵卿,式部卿,大宰帥(だざいのそち)などとなる。天長2年(825)子女が平姓を名のることを朝廷にこい,ゆるされて桓武平氏の祖となった。上野(こうずけ)太守,常陸(ひたち)太守などを歴任して一品(いっぽん)をさずけられた。仁寿(にんじゅ)3年6月4日死去。68歳。

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