葛井寺(読み)フジイデラ

デジタル大辞泉 「葛井寺」の意味・読み・例文・類語

ふじい‐でら〔ふぢゐ‐〕【葛井寺】

大阪府藤井寺市にある真言宗御室派の寺。山号紫雲山旧称剛琳寺西国三十三所第5番札所行基開山大同年間(806~810)に阿保親王再興と伝えられる。本尊千手観音天平時代乾漆像国宝。藤井寺。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「葛井寺」の意味・わかりやすい解説

葛井寺
ふじいでら

大阪府藤井寺市藤井寺にある真言(しんごん)宗御室(おむろ)派の寺。西国三十三所第五番札所。藤井寺とも書き、紫雲山(しうんざん)三宝院剛林(ごうりん)寺と称する。本尊は十一面千手千眼観音菩薩(せんじゅせんげんかんのんぼさつ)。聖武(しょうむ)天皇の勅願により行基(ぎょうき)が開創したもので、大同(だいどう)年間(806~810)平城(へいぜい)天皇の皇子阿保(あぼ)親王の再興と伝えられている。堀河(ほりかわ)天皇のころ(11世紀末)藤井安基が再修したので藤井寺と称するようになったという。南北朝時代には南朝の帰依(きえ)が厚く、楠木(くすのき)氏との関係が深かった。のち焼失したが、豊臣秀頼(とよとみひでより)、徳川家光(いえみつ)が再興し、現在、四脚門(国重要文化財)、本堂、護摩(ごま)堂、楼門などがある。本尊の乾漆千手観音坐像(国宝、秘仏)は、寺伝によると、725年(神亀2)聖武天皇の勅命で稽文会(けいもんえ)・稽首勲(けいしゅくん)父子が造立したという。寺宝に大般若(はんにゃ)経、南北朝時代の古文書などがある。

[勝又俊教]

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百科事典マイペディア 「葛井寺」の意味・わかりやすい解説

葛井寺【ふじいでら】

大阪府藤井寺市にある真言宗御室派の寺で,藤井寺とも記す。開基は行基,9世紀初頭に阿保親王が再興と伝えるが,判然としない。木心乾漆の千手観音座像(国宝)は天平末期の作で,唐招提寺の像とともに千手観音の最古の遺例。西国三十三所第5番の札所。
→関連項目藤井寺[市]

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デジタル大辞泉プラス 「葛井寺」の解説

葛井寺(ふじいでら)

大阪府藤井寺市にある寺院。真言宗御室派。7世紀の建立と伝わる。紫雲山三宝院剛林寺とも号する。国宝の十一面千手千眼観音菩薩像が本尊。四脚門は国の重要文化財に指定。「藤井寺」とも表記する。

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世界大百科事典(旧版)内の葛井寺の言及

【漢氏】より

…西漢は,河内国丹比・古市2郡を中心に,近接して居住し,文・武生・蔵の首(おびと)姓,船・白猪(しらい)・津の史(ふひと)姓などの各氏にわかれたが,東漢ほどの勢力はなく,八色の姓でも,忌寸をあたえられたのは文(書)首など少数にとどまった。しかし,8~9世紀に津氏が菅野朝臣(あそん)を賜り,政界で活躍し,また在地では,西琳寺(さいりんじ),葛井寺(ふじいでら),野中寺(やちゆうじ)などの氏寺を経営した。東漢氏【平野 邦雄】。…

【藤井寺[市]】より

…土師(はじ)氏の氏寺道明寺には菅原道真の自作と伝えられる十一面観音や鎌倉時代の聖徳太子像(いずれも重要文化財)がある。聖武天皇のころ建立されたとみられる葛井(ふじい)寺は西国三十三所5番札所で,天平時代後期の千手観音(国宝)が残る。【秋山 道雄】。…

※「葛井寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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