萩生城跡(読み)はぎゆうじようあと

日本歴史地名大系 「萩生城跡」の解説

萩生城跡
はぎゆうじようあと

[現在地名]飯豊町萩生

萩生集落の西方山裾にある中世の平城で、伊達氏家臣国分氏築城と伝える。「伊達世臣家譜」などによれば同氏は藤姓で、信州国分寺こくぶんじ(現長野県上田市)を本貫としたが、建武三年(一三三六)政信の代に落魄して奥州に下り、伊達行朝に仕えて萩生に住し、政信の子資信が伊達宗遠、資信の子光信が伊達政宗(儀山公)にそれぞれ近侍したという。嘉慶二年(一三八八)には国分彦四郎入道(資信)が萩生郷内四九貫余の地を(同年七月四日「伊達政宗知行配分状」国分文書)、応永一四年(一四〇七)には国分河内入道が陸奥刈田かつた平沢ひらさわ(現宮城県刈田郡蔵王町)の所領を安堵され(同年三月一五日「伊達氏宗安堵状」同文書など)、文安二年(一四四五)一〇月一七日には国分筑後が戦功により陸奥信夫しのぶ(現福島市)の「保木田郷内」の地を与えられている(「伊達持宗施行状」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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