華厳寺(読み)ケゴンジ

デジタル大辞泉 「華厳寺」の意味・読み・例文・類語

けごん‐じ【華厳寺】

岐阜県揖斐いび郡揖斐川町にある天台宗の寺。山号は谷汲山。開創年代は延暦17年(798)、開山は豊然ぶねんと伝える。西国三十三所第33番札所。
中国山西省大同にある寺。りょう代の創建で、上華厳寺と下華厳寺とに分かれて立つ。上下ともに代に修復されたが、建築は契丹きったん族の遺風を伝える。
韓国全羅南道求礼郡馬山面の智異山中にある新羅統一時代創建の寺。李朝時代に再興。石造舎利塔は新羅時代のもの。ファオムサ。

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精選版 日本国語大辞典 「華厳寺」の意味・読み・例文・類語

けごん‐じ【華厳寺】

[一] 韓国、全羅南道求礼郡智異山にある寺。五四四年新羅真興王が創建、一五九三年焼失、一六三〇年碧巖(へきがん)が再興して以来禅宗の道場となる。
[二] 中国、山西省大同市にある寺。上寺は遼代に建てられたものが一一四〇年に再建され、下寺は一〇三八年建造で、現存する中国最古の木造建築の一つ。
[三] 中国、山西省五台山にあった寺。賢首(げんじゅ)大師法蔵の建てた五華厳寺の一つ。日本から円仁が訪れた。現在は廃絶。
[四] 岐阜県揖斐(いび)郡揖斐川町谷汲徳積にある天台宗の寺。山号は谷汲山。延暦一七年(七九八)豊然(ぶねん)の創建と伝えられる。西国三十三所最後の札所。谷汲寺。谷汲観音

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日本歴史地名大系 「華厳寺」の解説

華厳寺
けごんじ

[現在地名]谷汲村徳積

妙法みようほうヶ岳の南東麓、徳積とくづみ集落の北に続く門前を進むと谷汲山華厳寺に至る。天台宗の古刹仁王門をくぐり、一〇八基の石灯籠を両側に配した石畳の奥参道を過ぎ、石段を登りきると本堂がある。内陣に祀る本尊は十一面観音で、西国三十三所観音霊場の札止満願所。平安期の作という脇侍の一木造毘沙門天立像(像高一・八メートル)は国指定重要文化財。文献上は谷汲寺ともみえ、地元では尊崇と親しみを込めて谷汲さんとよぶ。

〔創建〕

寺伝の谷汲山根元由来記によれば、延暦一七年(七九八)の創建という。奥州会津あいづ郡「黒河郷富岡」の住人大口大領が砂金一千両を投じて京都で造立した七尺五寸の十一面観音立像を郷里に持帰る途中、赤坂あかさか(現大垣市)で観音像は動かなくなった。「予遠奥州迄不可往」とし、赤坂の北五里の地に有縁の地があるので、大領にそこまで従うように言った。大領はやむをえず当寺南の丸山まるやまに精舎を建て、観音像を安置したという。延暦末年、大領は在地の僧豊然と協力し、改めて現在地に伽藍を建立した。開基は豊然、尊像に華厳経を記したことにより寺号を華厳寺とした。また堂舎建立の際にうがった岩から湧出した油を谷々の衆徒が汲んで本尊の常灯としたことから谷汲山の山号があるという。

華厳寺
けごんじ

[現在地名]西京区松室地家町

西芳寺さいほうじ川の北岸、通称延朗えんろう山の中腹にある。妙徳山と号し、臨済宗永源寺派。本尊大日如来。江戸中期の僧鳳潭僧濬が最福さいふく寺の故地に開創。近年多数の鈴虫を飼い、鈴虫寺ともいわれる。鳳潭は南都六宗の一である華厳宗の復興を願い、享保八年(一七二三)当寺を創建して大華厳寺と称したが、伽藍の拡張は未完成のまま元文三年(一七三八)没した。下って慶応四年(一八六八)慶厳が入寺して臨済宗に改めたので、慶厳を中興開山とする。大正元年(一九一二)勧進募金を行って本堂を再建。

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改訂新版 世界大百科事典 「華厳寺」の意味・わかりやすい解説

華厳寺 (けごんじ)

韓国,全羅南道求礼郡馬山面にある華厳宗の寺。智異山の南麓にあり,山号は智異山。新羅真興王5年(544)僧烟起の創建になり,景徳女王13年(754)再興と伝える大寺。豊臣秀吉による壬辰の乱(文禄の役。1592)に伽藍焼失後,碧巌禅師が再建に着手し,1703年に伽藍全体を竣工した。覚皇殿は現存する朝鮮最大の木造建築で,基壇は新羅時代のものといわれ,中に石刻の華厳経が遺存する。境内には新羅統一時代の石造物が多い。三層四獅子石塔は一般に舎利塔と呼ばれ,上成基壇は四方に獅子,中央に慈蔵の立像をすえて三層石塔を支えている。塔身の扉まわりに仁王,四天王,菩薩像の浮彫があり,様式上8世紀中ごろの建立と認められる。大雄殿の南方に東西両塔があり,東塔は簡素な造りで,西塔の二重基壇,初重塔身に十二支八部衆・四天王の陽刻を施す。覚皇殿前の石灯籠は現存最大のもので,新羅後期石塔の白眉とされる。ほかにも露盤,刹竿支柱などが残存する。
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華厳寺 (けごんじ)
Huá yán sì

中国,山西省代州の五台山にあった華厳寺と,山西省大同の東南10kmにあり上寺,下寺に分かれる華厳寺がある。前者は,六朝時代の大孚霊鷲寺を唐代に改名した華厳の道場であったが,日本の円仁が訪れたときには天台の教えが栄えていた。後者は,遼時代の創建になり,上寺の大雄宝殿は金時代の古建築として高く評価され,下寺の薄伽教蔵殿には創建当初のものとされる31体の塑像芸術の傑作がある。
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世界の観光地名がわかる事典 「華厳寺」の解説

けごんじ【華厳寺】

中国の山西省北部の大同(ダートン)市西部にある、遼・金の時代(10~12世紀)に創建された華厳宗の寺院。同じ場所に上下2つの華厳寺があるが、別の寺院になっている。上華厳寺の大雄宝殿は、現存する遼・金代の建物としては最大規模の中国を代表する伽藍(がらん)で、内部には明代の5体の仏、20本の諸天の塑像(そぞう)や清代の壁画がある。下寺の薄伽教蔵殿は遼の時代の形のまま今日まで残った建物で、ここに安置されている31体の遼の時代の塑像は、中国仏教芸術を代表する逸品とされている。華厳寺の境内には、北巍や遼の時代の出土品、芸術品を展示する大同市博物館がある。

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百科事典マイペディア 「華厳寺」の意味・わかりやすい解説

華厳寺【けごんじ】

岐阜県揖斐(いび)郡谷汲村(現・揖斐川町)にある天台宗寺院。本尊十一面観音。史料上は谷汲寺ともみえる。平安初期の創建で,地中よりわいた油を灯明に用いたと伝える。醍醐天皇勅願寺西国三十三所の満願所。
→関連項目揖斐関ヶ原養老国定公園

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「華厳寺」の意味・わかりやすい解説

華厳寺
けごんじ

岐阜県揖斐川町にある天台宗の寺。谷汲寺とも呼ばれ,延暦 18 (799) 年に創建された。のち醍醐天皇の勅願所となった。西国三十三所の打ち納めの寺。

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デジタル大辞泉プラス 「華厳寺」の解説

華厳寺(けごんじ)

岐阜県揖斐郡揖斐川町にある寺院。天台宗。山号は谷汲山。798年開山と伝わる。本尊は十一面観世音菩薩。西国三十三所、第33番札所。桜、紅葉の名所。

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