菅原文太(読み)すがわらぶんた

知恵蔵 「菅原文太」の解説

菅原文太

日本の俳優であり、声優やラジオ番組のパーソナリティーも務める。1933年8月16日生まれ、宮崎県仙台市出身。「仁義なき戦い」、「新仁義なき戦い」の各シリーズ(いずれも深作欣治監督)、「トラック野郎」シリーズ(鈴木則文監督)で映画スターとしての地位を確立、晩年農業に関心を持ち、教育・福祉活動や政治的な発言も積極的に行った。2014年11月28日に転移性肝がんのため81歳で死去。
早稲田大第二法学部を中退後、ファッションモデルなどを経て1958年に新東宝の「白線秘密地帯」で映画デビュー。新東宝が倒産した後、松竹を経て67年に東映へ移り、任侠(にんきょう)映画の「まむしの兄弟」シリーズ全9作などに出演。73年以降は広島でのやくざ抗争を実録風に描いた「仁義なき戦い」、「新仁義なき戦い」合わせて8作に主演した。75年に始まった「トラック野郎」シリーズ全10作では、長距離トラック運転手役で人情劇を魅力的に演じ、「デコトラブームを盛り上げた。73年度キネマ旬報主演男優賞、75年度ブルーリボン主演男優賞などを受賞している。
80年のNHK大河ドラマ「獅子の時代」で主演、その後は主演、助演を問わず、重みのある役柄を映画やドラマで印象深く演じた。2001年に長男の加織が鉄道事故で亡くなったことで一時仕事をセーブしたが、03年に映画「わたしのグランパ」で復帰し、9年ぶりに主演を務めた。山田洋次監督の「東京家族」にキャスティングされていたが、11年の東日本大震災をきっかけに降板した。
独特のしわがれ声が魅力となり、声優やナレーターとしてアニメ映画やゲームなどにも数多く参加した。01年のスタジオジブリ製作のアニメ映画「千と千尋の神隠し」(宮崎駿監督)では千尋を厳しくも優しく支える釜爺の声を、12年の「おおかみこどもの雨と雪」(細田守監督)では母子に農業を指導する韮崎の声を担当し、これが遺作となった。
1980年代以降は社会貢献活動などにも情熱を注ぎ、身寄りのない在日韓国・朝鮮人のための老人ホーム建設を進めた。長男が在籍した学校法人「自由の森学園」の理事長を務めたこともある。農業に携わりたいと98年から岐阜県に移住、2009年には山梨県に土地を借りて農業生産法人を設立し自然農法による野菜生産を行った。故郷・仙台を中心に東日本大震災の被災地支援に尽力し、07年に発症した膀胱(ぼうこう)がんの体験や、原発特定秘密保護法などの問題についても精力的に発言していた。

(若林朋子 ライター/2014年)

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百科事典マイペディア 「菅原文太」の意味・わかりやすい解説

菅原文太【すがわらぶんた】

映画俳優。宮城県仙台市出身。父親は河北新報記者で画家,詩人でもあった。1949年新制の仙台第一高等学校に入学。同校卒業後,早稲田大学第二法学部に進むが,1955年中退。大学在学中に旗揚げ直後の劇団四季に1期生として入団,演劇活動を行うとともに岡田真澄らと日本初の男性モデルクラブを設立,ファッションモデルとして活動した。1958年新東宝入社,同年映画デビュー。1961年新東宝倒産後,松竹に移籍したが女性映画の脇役が続き,1967年任侠ヤクザ映画路線で活力を回復していた東映に移籍,1969年《現代やくざ 与太者の掟》で初主演を果たした。1973年から始まる東映が任侠路線から実録路線に転じた《仁義なき戦い》シリーズで高倉健と並ぶスターの地位を獲得した。東映でのヒット作は他に1975年から始まる《トラック野郎》シリーズがある。1980年にはNHK大河ドラマ《獅子の時代》に主演,以後数多くTVドラマに出演した。晩年は日本の農業問題をはじめ,環境問題にも積極的に取り組み,反原発と反戦についても発言を続けた。2014年11月転移性肝癌による肝不全により死去。

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知恵蔵mini 「菅原文太」の解説

菅原文太

元俳優、声優。1933年8月16日生まれ、宮城県仙台市出身。身長180センチ。早稲田大学第二法学部に進学後、劇団四季の1期生として入団。57年には岡田眞澄ら8名で日本初の男性モデルクラブ「ソサエティ・オブ・スタイル」を設立し、ファッション・モデルとして活動したが、58年、映画会社「新東宝株式会社」に入社、同年「白線秘密地帯」で本格映画デビューを果たす。61年に新東宝が倒産し、松竹株式会社を経て67年、東映株式会社に移籍した。73年、「仁義なき戦い」(監督:深作欣二)に出演、その後76年まで同シリーズ全8作に出演し、日本映画史に残る興行収入をあげた。75~79年の「トラック野郎」シリーズも大ヒットし、日本を代表する俳優の1人となる。その後もテレビドラマやCMなどに出演し多彩な芸能活動を続けていたが、2009年より農業を始め、俳優業はセーブするようになった。12年11月13日、顧問を務めるNPO法人「ふるさと回帰支援センター」の講演会席上にて、俳優業より引退し、政治支援グループ「いのちの党」を結成することを発表した。同党は政党ではない。

(2012-11-16)

菅原文太

日本の俳優、声優。1933年8月16日、宮城県仙台市生まれ。56年に「哀愁の街に霧が降る」で映画デビュー。57年、岡田眞澄らと日本初の男性モデルクラブ「ソサエティ・オブ・スタイル」を設立。58年、新東宝株式会社に入社し多くの映画に出演した。61年に同社が倒産し、松竹株式会社を経て、67年、東映株式会社に入社。73年からの「仁義なき戦い」シリーズ(深作欣二監督)、及び75年からの「トラック野郎」シリーズで主演を務め、日本を代表する俳優の一人となる。以降も、数々の映画・テレビドラマ・CMなどに出演し第一線で活躍したが、98年に岐阜県清見村(現高山市)に移住し農業を始め、俳優業をセーブするようになった。2009年、山梨県北杜市で農業生産法人を設立。12年11月に、俳優業を引退。14年11月28日、転移性肝がんによる肝不全のため死去した。享年81。

(2014-12-3)

出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「菅原文太」の解説

菅原文太 すがわら-ぶんた

1933-2014 昭和後期-平成時代の俳優。
昭和8年8月16日生まれ。ファッションモデルなどをへて昭和33年新東宝映画「白線秘密地帯」でデビュー。のち松竹をへて42年東映にはいる。「仁義なき戦い」「トラック野郎」などのシリーズに主演し,東映の任侠・やくざ映画路線のスターとして活躍。平成3年自由の森学園理事長。東日本大震災のあと,脱原発などの社会問題にも取り組んだ。平成26年11月28日死去。81歳。宮城県出身。早大中退。

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