荻野沢之丞(読み)おぎのさわのじょう

精選版 日本国語大辞典 「荻野沢之丞」の意味・読み・例文・類語

おぎの‐さわのじょう【荻野沢之丞】

歌舞伎俳優。元祿期(一六八八‐一七〇四)の名女方。前名荻野佐馬之丞。大坂、京、江戸三都に出演し、各地人気を得、江戸女方の随一と称された。沢之丞帽子の創始者。明暦二~宝永元年(一六五六‐一七〇四

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改訂新版 世界大百科事典 「荻野沢之丞」の意味・わかりやすい解説

荻野沢之丞 (おぎのさわのじょう)
生没年:1675-1704(延宝3-宝永1)

歌舞伎俳優で元禄期の名女方。一説に1656年(明暦2)生れ。通称佐七,香具屋藤十郎。京都では左馬之丞と称す。俳名袖香。1687年(貞享4)までに太夫号をとり,91年(元禄4)京の都万太夫座の《嫁鏡》は大当りであった。翌年江戸に下り,98年冬には引退して鬢付油店を営んだが翌年には舞台復帰愛嬌あって美しく,時代,世話の女房役にすぐれ,手負事,濡れ事,やつし事に長じていた。
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朝日日本歴史人物事典 「荻野沢之丞」の解説

荻野沢之丞

没年:宝永1.8.19(1704.9.17)
生年:明暦2(1656)
元禄期の若女形歌舞伎役者。通称佐七,香具屋藤十郎。京では左馬之丞と称した。俳名袖香。若女形の荻野長太夫の門弟。元禄4(1691)年,京都の都万太夫座の「嫁鏡」で武士女房に扮した荒木与次兵衛譲りの非人のやつしが大当たりで,以後嫁鏡物をお家芸とする。翌年江戸へ下って活躍した。同11年には一時引退して鬢付油店を営んだが,まもなく復帰。美貌で愛嬌があり口跡もさわやかで,三都の人々から「女形の随一」として親しまれた。元禄の初めに彼がかぶった,左右に鉛のおもりを付けた沢之丞帽子が,女性の間で流行したという。<参考文献>『歌舞伎評判記集成』1期,『日本庶民文化史料集成』6巻

(北川博子)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「荻野沢之丞」の解説

荻野沢之丞 おぎの-さわのじょう

1656-1704 江戸時代前期の歌舞伎役者。
明暦2年生まれ。初代荻野長太夫の高弟で,大坂荒木座で太夫号をえる。元禄(げんろく)5年江戸にいき,初代市川団十郎の相方をつとめ江戸女方の随一といわれた。宝永元年8月19日死去。49歳。京都出身。前名は荻野左馬之丞(初代)。通称は左七,香具屋藤十郎。俳名は袖香。

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