草岡村(読み)くさおかむら

日本歴史地名大系 「草岡村」の解説

草岡村
くさおかむら

[現在地名]長井市草岡

勧進代かんじんだい村の南西にある。クサノオカとも称した。大永五年(一五二五)四月一九日の伊達稙宗安堵状案(伊達家文書)に「下長井草岡の郷」とみえ、郷内の七郎屋敷、一貫文の地が牧野修理亮に安堵されている。同年一一月一一日の伊達稙宗安堵状案(同文書)では当地の不動田、年貢二貫二〇〇文の地などが「田手いはミの太方」に安堵されている。天文七年(一五三八)の段銭古帳では本段銭四四貫三五〇文。同一三年一〇月二六日の伊達稙宗充行状(高成田文書)によると、船生右馬助は恩賞として「草の岡郷内さやまき」在家一軒などを与えられた。同二二年一月一七日の伊達晴宗充行状(鮎貝文書)によると、草岡惣領方桜田右兵衛督分の「五たゝ在家」「つるまき田在家」「殿畠」「うつきた在家」「南あかゝり在家」「ついわく在家」など、同庶子方の「南泉屋敷」「しかま在家」「勘解由屋敷」「不動堂田」「さうやしき」「さうきし屋敷」「ひつき屋しき」「蓬田在家」などが鮎貝兵庫頭に与えられ、守護不入が認められている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報